扇田昭彦さんのこと 〜追悼に代えて  五月の空が青いわけ

去る5月23日夜、演劇評論家扇田昭彦さんの訃報が、インターネット上に出現した。演劇を通して知り合った友人が、そのことをメールで連絡してくれた。
ショック。信じられない。デマであってほしいと思った。だが翌朝の新聞にも訃報があった。改めてショックだった。 悪性リンパ腫が発覚し、入院後わずか一週間、22日夜に亡くなられたといくつのかのメディアが報じていた。


扇田さんは私にとって演劇の世界、舞台の世界への架け橋のような存在だった。


もう何年前になるだろう、近隣の市で“劇評ワークショップ”というものが催された。その時の講師が扇田昭彦さんだった。

その頃の私は舞台鑑賞にハマり始めた時期、書くことは元々好きだし、舞台を観た後には湧き起こる溢れる気持ちがあり、そのうち何割かが時とともに消えていくのもまた事実で、書き記しておきたい、そんな風に望んでいた時でもあった。
私は受講を申し込んだ。


扇田さんは朝日新聞の記者を経て演劇評論家となり、記者時代から半世紀に渡り、日本の演劇界・舞台シーンを“目撃”し、批評することにより世の中に紹介し続けてきた、その世界の第一人者。不勉強な私は、恥ずかしながらその時までそのお名前を存じ上げなかった。だが、ワークショップを受けて、直接、その知識の豊富さ、お話のわかりやすさ・面白さ、穏やかでダンディな風貌でありながら人間的な度量の大きさに触れて、第一人者とはこういう人のことをいうのか、と知った。


“劇評ワークショップ”というのは、わかりやすくいうと“劇評講座”。その流れは、まず劇評の書き方についてのレクチャーを受けた後、全員で舞台のビデオを鑑賞→期限までに劇評を提出→次の回の講座で、講師による批評や添削。このセットが2回。

講師の扇田さんによる私たちの原稿への講評はフェアで的確だった。それぞれの感じ方を否定せず、かといって適当にほめるのでもなく、掘り下げて聞いて文章を直していった。同じ作品でも観る人によって捉え方が様々だと思ったのだが、それが生かされる添削だった。そして受講生みんなの劇評が1回めと2回めで変化した(いい意味で)のに驚いた。



ところで、私はここで「先生」ではなく、「扇田さん」と呼んでいるが、それは「先生」と呼ばないでほしいとご自身が仰っていたからで、私たちはそれに従っていたわけだ。

扇田さんは、講座の後の懇親会でも、誰とでも気さくに話をされて、私たちも色々と面白い話や時には業界裏話(?)も聞かせていただいた。

また、劇評を書く上でご自身が自戒していることをいくつか講座の中で教えてくださったのだが、若く新しい才能に対しては、寛容で包容力のある姿勢で批評を書く、表現者に対して高圧的、威圧的な劇評は書かない、大きなエネルギーを費やして舞台を作った表現者たちへの敬意を忘れないこと‥etc.など何点かあった。彼の劇評に対するそういう姿勢は、劇評のみならず、講座での私たちの原稿への批評や添削、懇親会の雑談の中にも現われていた。偉ぶらないお人柄で、舞台に対する情熱、敬意は常に芯が通っていらした、と今、思う。


劇評講座を受けたのは、このブログを始める前だった。舞台を観て受け取るものは両手からこぼれる程、時には溺れてしまいそうな程たくさんある。その無形のものを書き記して自分なりに有形にする方法があることを、講座を通して知ったのだ。そしてこうやって今、観劇のスピードにレビューを書くのが追いつかないながらもブログを続けている。(劇評は感想文とは違うと講座で教わったのだが、“劇評”の自信がなく“レビュー”と横文字を使って、何となくぼやかしているつもりなのだけれど)


扇田さんの『月刊ミュージカル』連載の劇評や『週刊朝日』での舞台の本の紹介も楽しみにしていたし、面白い舞台、素敵な役者を見つけると、扇田さんならどう評価されるだろう、など思ったりもしていた。


訃報の第一報を知らせてくれたのは、“劇評ワークショップ”で知り合った友人だった。彼女と一緒に昨年は、また扇田さんが講師の「現代演劇史」という講座に参加することができた。久しぶりに福岡で講座があるということで楽しみに受講したのだが、以前と全くお変わりなくお元気で、白髪の紳士が穏やかな口調で熱く現代演劇を語られ、聞き入ってしまった。講座の合間に挨拶をしに行ったら、私たちのことを覚えていてくださって、とても嬉しかったのだが、そのことを思い出すと悲しくなる。


何回か講座を受けただけの私でさえ、こんなにショックで、喪失感にず〜んとくるだから、長年親交のあった人々、舞台関係者の方々はどんなに打撃を受けているだろうと思う。

信頼していた人を失うと、空をぼ〜っと眺めていたくなることを知った。五月の空はどこまでも青いのが私にとって救いだった。


まだまだ第一線で活躍し続けて、機会があればまた面白いお話を聞かせていただきたかった。ただ今は、教わった姿勢、受け取ったものを忘れないようにしなくては、そう思っている。

ありがとうございました。私にとって扇田さんは、舞台の世界へ繋がる大きな架け橋でした。同様に多くの人にとって大きな存在だったと思う。