12日前の日曜日 「エッグ」

今日から5月。日中は26℃だった。
この一週間でいきなり20℃超え。今年は4月らしい天気がないまま5月になった。。

季節の針がひゅんっと早回りしたせいで、10日ちょっと前のことが、一ヶ月以上前のことのように思えてしまう。(←また言ってしまいました)



12日前、何回か行ったことのある北九州芸術劇場だけど、大ホールは初めてだった。





       
    会場は大ホール                 雨の小倉城




『エッグ』 NODA・MAP第19回公演

作・演出:野田秀樹  音楽:椎名林檎 美術:堀尾幸男
出演: 妻夫木聡深津絵里仲村トオル秋山菜津子大倉孝二藤井隆野田秀樹橋爪功
日時:2015年4月19日(日)13時〜
会場:北九州芸術劇場 大ホール

NODA・MAP「エッグ」BOX(CD付)


NODA・MAP初観劇 スポーツ〜音楽(〜国)の狭間の隠し絵〜


客席には椎名林檎のロックが流れている。唄い手は林檎ではなく深津絵里
開演時間が過ぎても始まる気配がないと思っていたら、客電も落ちずに天井からビラが3〜4枚ひらひら舞い下りて来た。

戦争中に撒かれたビラを連想したがそうではなく、それは寺山修司の未完成戯曲で、天井の梁にくっついていたのが剥がれて落ちてきたものだと後からわかる。そこは改修中の劇場だった。
‥気づいたら、こんな風に自然にお芝居が始まっていた。

その未完成原稿をもとに芸術監督(野田秀樹)の采配でドラマが再現される流れなのだと思うのだが、途中、戯曲の読み直し(解釈し直し)も入り、2,3回、場面設定の修正がされる。それは“修正”というかっちりしたものではなくて、観るものを幻惑しながら、物語がどこかに滑り落ちるように進んでいく。

ひとつの言葉をきっかけに場面が一瞬にしてスライドし、騙し絵的にがらりと変わる。時にずしりとくる。観終わった後、これが野田秀樹の世界なのか、と思った。



出だしの改修中の劇場の場面、舞台上には灰色の大きな箱のようなものが幾つも重ねて横たえられていた。

物語が始まると、その箱は一つずつロッカーになっていた。
そこは大事な試合を控えたロッカールーム。そのスポーツは“エッグ”と呼ばれるもの(架空の団体競技)。
その競技のベテラン選手(仲村トオル)、才能ある新人<農家の三男坊>(妻夫木聡)、すぐ怪我をしてしまう選手(大倉孝二)、監督(橋爪功)、試合前に国歌も歌う人気ロックシンガー(深津絵里)、チームのオーナー(秋山菜津子)、振付師で記録映画の監督(藤井隆)、個性的な面々が伸び伸び演じていて、彩り豊かだ。


東京オリンピック出場を目指して騒々しくがんばっていて、2020年のオリンピックを思わせるのだが、実は1964年のことで、かと思えば幻と消えた1940年代のそれのこと‥と攪乱されつつ時代が遡っていき、第二次世界大戦中まで辿りつく。

舞台上はロッカールームなので、試合が始まると選手は舞台中央にある出口からあちら側の試合場へ出て行って消えてしまうため、どんな競技なのかは正確にはわからない。が、大観衆の歓声、出入りする選手の興奮などスポーツ特有の高揚感、疾走感がダイレクトに伝わってくる。そしてそれが次第にナショナリズムを匂わせるものへとなっていく。

厳密に筋は辿れないような、めくるめく、めまぐるしい展開に、初めは笑いながら観ていたのが、後半はシリアスなものになっていった。



しかし、冒頭に黒のロングスーツを着た女性が女学生たちを引き連れてガヤガヤといきなり現われて“ワタクシ、劇場の案内係、野田秀子でございます。”と名乗ったのはおかしかった。彼女は芸術監督の愛人ということだが、芸術監督を演じるのは野田秀樹(二役)。案内係と芸術監督は同時には登場せず(当たり前だが)、急いで着替えたであろう場面も。彼女&彼は、がらがらの声だがセリフは滑らかで、やはり自分で書いたセリフのパワーなのかと思った。


大倉孝二は長身の体を独特の動きでくねらせて印象的だった。女王のようなチームオーナー役の秋山菜津子はいつも君臨している存在感を漂わせ、あたりを引き絞めていた。監督役の橋爪功は物語の外枠にいる芸術監督と打ち合わせしたりなど狂言回し的な役割も兼ね、話の内側と外側を行き来しつつブレない演技だった。

仲村トオルは低い声でストイックな雰囲気、対照的に妻夫木聡は無邪気に跳ねまわり、藤井隆はコミカルな演技でくすっとさせる。

国民的シンガー“苺イチエ”役の深津絵里。テレビや映画の彼女とは全く違っていた。私の席からはオペラグラスを使わないと顔がわからなかったので余計に、深津絵里がやっていると言われても狐につままれたような気持ちだった。かわいい歌声で時々かすれて椎名林檎の曲がよく似合う(何曲かある劇中歌は、作詞:野田秀樹、作曲:椎名林檎)。苺イチエは人気ロックシンガーのイメージそのままのわがままで自分中心の性格で、それがキュートで、これが深津絵里か、と、初めから最後まで呆気にとられて観ていた。


場面が変わっても、ロッカー群は配置場所が変化して出てきて面白かった。扉が開いて人が出てきたり、びっくり箱のような使われ方もしていた。


舞台全体は、時代的にも空間的にも、幾重にも折り重なったものを、奇術を使って目の前で繰り広げられているかんじで、客席からのこの感覚は演劇ならではだと思う。

この公演は2012年に行なわれたものの再演だということだが、初演の時は2020年東京オリンピックは決まっていなかったはず。そういうこともあり、現実世界との重なり部分を思うと、空恐ろしい気持ちになった。