女ノマド、一人砂漠に生きる

こんな本を読みました。



ノマド、一人砂漠に生きる』常見藤代/著 2012年 集英社
女ノマド、一人砂漠に生きる (集英社新書)


家族と離れて、一人エジプトの砂漠で暮らす女性・56才。遊牧民。名前はサイーダ。(‥昔のことでなくて、現代の話。)著者は彼女を訪ねて、共に砂漠生活を送る。また、今は定住地に住んでいる、サイーダの家族や親戚たちとも親しくなり、イスラム社会に生きる女性たちを活写する。この本を読もうと思ったのは、いくつかの書評欄で紹介されているのを目にして興味を持ったから。

読む前は、勇ましい日本人女性のとんがった本というイメージを勝手に抱いていたのだが、違った。柔らかく読みやすい文章で、するする読める。喉ごしがいい、というか。

ラクダの背中に最小限の荷物を積んで砂漠で生活するサイーダ。お腹がすくと小麦粉をこねてパンを焼く。日に数回のお祈り。牧草地を求めての移動。苛酷に思えるのだが、彼女曰く「砂漠じゃ自分一人だから、どこに行って何をしようと、自由さ。でも町には人や車がいっぱいで、自由に歩きまわれない。」現在は定住地で暮らしている何人かの遊牧民・男女へのインタビューでも同じようなコメントだった。「昔は自由だった。」「昔は楽しかった。‥心が穏やかだった。」「ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。」  “自由”という言葉の桁が果てしなく大きい思う。

仮に自分がアウトドア人間だったとして、バイクか自転車でキャンプしながら各地を巡って回る、そういうものの延長上に考えたら、インドア派の私にも少しは遊牧生活が想像できるだろうか。ちょっと無理やりなこじつけだが、そう考えて、そこで得られる“自由”に思いを馳せてみる。(ちなみに、サイーダは寝る時もテントを利用しない)


遊牧民たちは、動物や人の足跡が見分けられるという。車のわだちもだ。誰の足跡、誰の車のわだち、という具合に。それらをじっと見て目に焼き付けるらしい。実際、わだちを追って人に会いに行くシーンがあり、まるで超能力のようだと思った。


表紙見返しにある一文のような「結婚するまでお互い顔をほとんど見ないという『恋愛』事情や一夫多妻のリアルな内実など」についても本の半分くらい占めている。仲良くなった女性たちからの聞きこみなので、親戚の噂話のように読者にも近く感じる。結婚の風習や夫婦生活のことまで、よくあそこまで聞けたなと思う。もしくは、彼女たちがオープンなのか。臨場感たっぷりで、ページを追うのが止まらなくなった。生々しい人間ドラマ、はらはらする場面、笑ってしまう話、胸が痛くなる話などなど。驚きのエピソードも多いが、下世話にならないのは著者の品性。
「いい年してひとりでいるより、既婚の男とでも結婚した方がまし」独身の著者はそう諭され、納得しそうになるあたり可笑しい。


随所にある写真も彼女が撮ったもの。黒いベール姿の女性たちもたくさんいる。登場人物たちだ。やっぱり笑顔のショットがいい。読みながら写真を見ると、異国の人ではなく、知人のようにも思えてくる。

サイーダが暮らす砂漠地帯は、雨らしい雨が降らなくなり遊牧が困難になってきているという。それが、人々が定住地へ移ってきている原因の一つだ。また彼らの生活の中にも携帯電話や衛星放送など便利なものが“侵入”してきている。

私たちからすると、“文化人類学”に出てきそうな遠い国のことを、こんなに身近に感じられるのが本書の魅力。やがては消えゆくと言われる遊牧民の世界が鮮やかに描かれた。