年年歳歳

夏といえば、読書感想文。(…なのかな?)

とても惹かれる本を読んだので、感想をアップします。

 

内容に触れていますので、未読で先入観を持ちたくないという方は、どうぞご注意くださいませ。

↓↓

 

年年歳歳ファン・ジョンウン/著 斎藤真理子/訳 2022年 河出書房新社

 

 

最近、…というかここ数年、“K文学”という言葉をよく耳にする。『82年生まれ、キム・ジヨン』をはじめ、何も読んだことがなかったので、新聞の書評で目にして気になった本を読んでみた。

 

すると。

大変引き込まれた。音もなく引き込まれた。ページを閉じても引き込まれている。

 

七十代の母(イ・スンイル)、長女(ハン・ヨンジン)、次女(ハン・セジン)を巡っての連作短編集。それぞれの短編のつくりは均質ではなく特に後半で異なった感触を受ける。現在地点は2016年だと思われ、時に話は母の二代前(母の祖父)まで遡る。

 

静かな語り口で、どちらかというと平易な文章で、読みやすい(きっと訳もいいのだろう。推測)。そして、よどみなく読み進めていくうちに、ひとりひとりの人生や生活、家族の系譜、村を襲った朝鮮戦争の生々しい有様などが明らかになり、小説世界の振り幅が大きく、胸に迫ってくる。

 

 二つめの短編のタイトルは「言えない言葉」だが、小説全部を読み終わった後の、そのまたしばらく後に、作品全体に通底するものとしてこの「言えない言葉」というフレーズが心に残った。娘が、母が、言えない言葉、語られない言葉、封印している言葉、洩らしてしまった言葉、口にしてしまった言葉…。それぞれ決して生易しい内容ではないが、そういったものが、繊細な筆致で層を成しているようで、小説読了後の日常生活の何でもない時などにも、「言えない言葉」というフレーズがふと思い浮かんだりした。そういう余韻。

 

 …と、私は今、「娘」とか「母」とかいう呼び方を用いてしまっているのだが、この小説の文章の特徴の一つとして、「イ・スンイルは…」、「ハン・ヨンジンが…」というふうに、人物がフルネームで表わされ、彼、彼女、母、娘、妻、夫といった言い回しはほとんど出てこない。初めは戸惑うが、登場人物の「個」としての存在感が際立ってくる感覚を受ける。(訳者あとがきにもこのことが述べられていた。)

 

 主要人物であるイ・スンイルは、「順子(スンジャ)」と呼ばれて育ったが、十四の頃に隣に住んでいた友達もスンジャだった。巻末の「作家のことば」によると、「スンジャ」と呼ばれる人がなんでこんなに多いのだろう、という疑問からこの本は生まれた、とある。「訳者あとがき」には、植民地時代の日本の影響の名残から、1940年代、50年代生まれの女性には「子」がつく名前が多く、なかでも「順子」の多さは統計上も証明されている、それほどよい名前だというイメージが流布していたのだろうと述べられ、作者ファン・ジョンウンはこの名が好まれた理由を、順調な人生をという願いと「おとなしく人の言うことをよく聞く女の子なら幸せになれるだろう」という願い、親たちの二つの思いが反映されたものだとみているという。

 

スンジャ時代のイ・スンイルの、隣家の友達もスンジャ。なんだか攪乱されるが、それを追想する場面は、時に詩のようで、哀しいわらべ唄を思わせ、やるせない。

 

また、次女のハン・ヨンジンが職場であるデパートの布団売り場で布団をたたむシーンや、イ・スンイルが屋上のプランターに生ったトマトをもいで家に持ち帰る場面など、日常の一コマの感覚的な描写、そこから回想にうつるなだらかさが印象に残った。

 

 社会的な事象も随所に触れられ、しっかりした骨格の上の滑らかな文章で、各章に、そして全体として静謐な余白があるように感じられる。それは、過酷な現実を孕んだ静かな水面のようだ。そしてその余白は、読者に委ねられているように思う。