獣の柱

今月初旬に観たお芝居です。



『獣の柱 まとめ*図書館的人生(上)』



劇団「イキウメ」

作・演出:前川知大 

出演:浜田信也 盛 隆二 岩本幸子 伊勢佳世 森下 創 大窪人衛 加茂杏子 安井順平池田成志

日時:2013年6月9日(日)14時〜

場所:北九州芸術劇場 中劇場



〜空から柱が降ってくる 時空を往来するSF物語(‥と、ふつうのラブ・ストーリー) 〜



劇場という場所は、日常から一歩外に出た世界。観劇は、開演前、会場に足を踏み入れた時から始まっているのかもしれない。

今回もそこに入っていくと、暗めの客席と、更に暗い舞台上にぼんやりセットの輪郭が浮かんでいる。「幕が開くと〜」という表現をいつも無意識に使っているけれど、よく考えてみると、実際に「幕」があるものとないもの、お芝居には二種類ある。イキウメの場合は後者、「幕」現物はない。静かに客席の照明が暗くなり、それに反比例して舞台が明るくなっていく。それが幕開きだ。


舞台上の人間たちが動き出す。しゃべり始める。彼らの舞台では、客電が落ちて芝居が始まると、いつの間にか、この世から少しずれた世界に引き込まれている。ゆっくり錘に引かれるように日常から離れていく感覚、それを感じる始まりの時間帯が好きだ。

今回はスケールの大きなSF物語だった。前回までの作品(の中で私が観たもの)はSFともいえるし、そうでないともいえるもので、ひたひたと迫るものが全ての作品に漂っていた。今回はそういう気配よりも、ダイナミックさが目立った。脱力系のユーモアも健在。


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舞台の奥の方には、大きくて白い布が三枚並んで下がっている。左右の端には人の背丈ぐらいの棚がそれぞれ三つずつ前から後ろに並んでいる。ステージの広い部分にはテーブルと椅子が1セットずつ左側と右側にある。全体的に舞台上の縦の長いラインが印象的で、そこは前作と共通している。(美術:前作に引き続き土岐研一)

最初のシーンは神社。2096年。高知県。布の向こうにある“御柱(みはしら)さま”をお参りする家族。布をずらして御柱を直接見ると人間はフリーズしてしまう。そんな不思議な力を持つ“柱”の謂れを町史資料室・室長の山田寛輝(安井順平)が話し始める。ここで、時は90年近く遡り2008年高知県。そこでの出来事が舞台上で展開される。山田の曾孫・山田輝夫(安井順平・二役)が登場。眺めると幸せな気持ちになり人を動けなくしてしまう隕石の破片が、ことの始まりだった。そしてその一年後2009年には、高さ何十メートルもある巨大な柱が大都市に次々に降って来る。それを目にすると人々は幸福感に包まれフリーズしてしまう‥。柱は神なのか、気象現象なのか、それとも‥。物語は90年の歳月を行きつ戻りつしながらイキウメお得意の世界を描いていく‥。


諷刺ともメタファーともつかないが、端々に何か現実にありそうだなと思い当たるようなブラックユーモアを散りばめるのが前川流だ。(作・演出:前川知大) 町が一定以上の人口になると柱が降ってくる、そこに住めなくなった難民たちは新天地を求めて移動するがすぐ人口過多になる、柱を神格化して“御柱さま”にしてしまう、その柱を克服しようとする勢力と共存しようとする勢力の諍い、など。荒唐無稽な筋でも違和感なくリアルに感じてしまう理由はこのあたりにもありそうだ。

ステージ上に実際の「柱」は出てこないが、窓をあけて(布をめくって)柱の光を浴び人が固まってしまったり、隕石を目にして腑抜けになる様で「柱」の脅威が表現される。その様子に笑ってしまうが、恐くもある。劇団の役者たちは今回も手堅い演技だったが、客演の池田成志の存在感が効いていた。低音のセリフがよく通って、2008年の謎の人物と、2096年の町長の二役、どちらもアクが強く一癖ある役柄がぴったりだった。


そして、お馴染み、力の抜けた演技で目が離せなくなる安井順平だが、曾孫の山田輝夫役の時、友人(浜田信也)の妹(伊勢佳世)のことが好きなんじゃない?好きだよね、というのが全篇を通してサイド・ストーリーのようにあって、可笑しかった。(勘ぐってみれば、こっちがメインテーマか。まさか。)「妹さんきれいになったよね。」と口走ったり、彼女が動くのを目で追ったり。同じクラスや職場内で、あの人、この人のこと好きなんだな、とわかってしまう時の、みえみえなかんじ。古今東西の映画や演劇では、このような極限状態のスペクタクルな設定での恋愛は、たいていドラマチックに暴走しがちなものだが、ここでも膝カックンの順平氏、面目躍如。

切羽詰まった話なのに、クスリとさせられて、ちょっと和むのがいい。


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今回、お芝居が始まってしばらくすると、現実世界よりもイキウメの劇空間の方が心地よい、そう感じている自分を発見した。(‥と前の記事にも書いた。)
今まで観たものよりも、大仰で大がかりな筋で、笑いも、一歩間違えば身体的コントになりそうなものだが、そこはちゃんとイキウメのホームグラウンドにとどまっていたのはよかった。ほっとした。
        
この世とは違う重力を持つ世界、照明も話も暗めだけど洗練されていて、柔らかいユーモアがありどこか温かい、そこが心地よいのだけれど、私たちはそこに永住するわけにはいかない。終演時刻が来れば戻らなければいけない世界がある。けれど、味わった重力は持ちこめる。反芻することもできる。

だから、イキウメ未体験の人は、少々おどろおどろしい劇団名にたじろぐことなく、是非一度観てほしいものだと思う。