先祖になる

今週末に公開される映画を試写会で観ることができた。魅力ある面白いドキュメンタリー映画だった。
登場人物たちの方言を真似して、「見てけろ。」と言いたくなった。

2013年4月27日(土)公開 @KBCシネマ(福岡市)http://www.h6.dion.ne.jp/~kbccine/

↓ちょっとネタばれですが‥




『先祖になる』
池谷薫:監督作品
2012年/日本


〜頑固で飄々、山に生きる一人の男の あの日からのものがたり〜



「これが‥」
冒頭のシーンで直志さんは言った。「気仙大工の技術なんだにゃ。」
地震津波に遭いながらも自宅は倒壊を免れた。その家屋を支えている柱を前にして発せられた言葉。
ゆっくりとした口調だが、きっぱりとしていて、地元への誇りが感じられた。


佐藤直志(さとう なおし)。77歳。岩手県陸前高田市気仙町荒町地区在住。チラシの写真の通り味のある人。
職業は、半分は農業、そして半分は「木こり」(「木こり」という単語を、昔話以外の場面で初めて耳にした気がする)。
この映画は、東北地方の、ある小さな町の、高台に住む一人の男の、3.11以後を追ったドキュメンタリーだ。


ナレーションなし。字幕説明なし。音楽もなし。
でも、 “ものがたり”に引き込まれる。


半壊した自宅の二階に住み続ける直志さん。
「仮設さ行かね(行かない)」
それどころか、危険だと言われているその場所に、家を建て直してまた住むという「夢」を抱き実行に移す。

果たしてうまくいくのかどうか。そう思いながら見ていて、いつの間にか彼のペースに乗せられているというかんじ。そして見終わってなぜか素直な気持ちになっていた。
それは、直志さん、周りの人たち、町の人々、全ての遺された人々のその後の生活が(「生活」という日常的な単語では表現できない「生活」が)等身大でそこに映し出されているからだと思う。

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この直志さん、相当に頑固だけれど、柔らかい語り口なので、強引な印象は受けない。ユーモラス。
そして言葉が魅力的だと思った。
普通に話していても箴言がきらめくというか。
「こうやっていてもにゃ、花は咲き‥」
「花が終わったら、緑になり‥。」正確ではないが、そんな言葉も。


また、インタビューで本音を漏らす彼の妻がいい。
夫の「夢」はわからないでもないが、危険性を考えると賛成できない。が、正面衝突するのではなく、うまく距離をとる。手放しで、男のロマンばんざい、とはいかないところが現実で、そのあたり妙に共感を覚えた。(私の中で一方では直志さんを応援しつつも、です。)


「たけしくん。」直志さんがそう呼ぶのは、年下の友人、男前で直情型の剛(たけし)さん (生瀬勝久に似ていると思ったが、渡瀬恒彦に似ているという声もあり)。彼は常に直志さんを支え続けている。

ほかに身近には、息子の妻や、仕事仲間、町内会長、町の人々、役場の人、色んな人がいるけれど、彼と、周囲の人々とのハーモニーはどうだろう。
激しくやりあうこともある。だが、気づいたら落ち着くところに落ち着いている。(言い合いの場面は方言が少し聞き取りにくいが、意味はおおよそわかる)。


大木を切り倒すシーンや祭りのシーンのダイナミクスさ。唸り声をあげるチェンソーの音。
映像は力強く、画面を突き破りそう。
自分の中で“被災地への思い”という語句が観念的になっていたのに気づき、それが溶かされた。


小柄だが屈強な直志さんの、山仕事の際のお昼ご飯は、丼サイズのおにぎり。広くて真っ黒な一枚の海苔で包んだ、その大きなおにぎりを、スクリーンからこっち側に投げられ、素手で受けたなら、その温かみが手のひらにじんわり広がるだろう。そんな想像をしたくなる。生身の人間の体温が伝わる映画だ。



映画HP http://senzoninaru.com/index.html