冨士山アネット

「冨士山アネット」と書いて「ふじやまあねっと」と読むそうです。
劇団‥じゃなくて、カンパニー名‥?
私にとって収穫でした。


『家族の証明∴』


  冨士山アネット
  作・演出・振付:長谷川寧
  振付・出演:大園康司 伊藤麻希 玉井勝敏 石本華江 長谷川寧
  日時:4月28日(木) 19時半〜
  場所:ぽんプラザホール(福岡)



〜普段着で踊るダンス (と光、と音楽) の、演劇‥か?〜



おすすめの舞台があると知人から聞き行ってみた。ダンスの要素を取り入れた演劇らしい。

そして、果たして。
ついに最後までセリフは出てこなかった。ダンスというかパフォーマンスというか。
でも面白かった。


舞台向かって右側に白いテーブル=食卓。白い椅子。その向こうにホワイトボードのような形をしたボード。縦縞の虹色の光をたたえている。天井から下がっている電燈のカサはオレンジ。
左前方には額縁のような枠が吊り下がっている。
背後はほぼ全面に天井から白くて細いひも状のものが垂れ下がっている。超大型のれん。(といったらたとえが卑近すぎるけど。)
テーブル、ボード、枠だけのシンプルな装置。


前触れもなく、右側から男の人と女の人が歩いてきてステージに登場。のれんの中から出てくる丸まった人間を二人で抱きかかえて舞台上に下ろす。次に丸まって出てきたのは女の人。その次はまた男の人。
きっと初めに出てきた男女が、お父さんとお母さんで、あと登場順にお兄さん、お姉さん、僕、なんだろう。配布されたチラシに「出演:僕、兄、姉、父、母」とあるのを手掛かりに推測。お父さんはYシャツ風なシャツにズボン。お母さんは赤縁のメガネに小さい柄の入ったワンピース。子どもたちはカジュアルな若者スタイル。


5人は思い思いに振る舞っている。子どもはハイハイしたりもして。
環境音楽風な曲で、こんな曖昧な状況が続いたらどうしよう、う〜ん、と思った矢先、“ジャン♪”とビートのきいた音楽に変わり、踊りも激しいものに。
ここからは舞台のペースにのっていけた。気づいたら約1時間、最後まで引きつけられて観ていた。

曲は緩急とりまぜられていて、動きもそれにつれて変わっていく。
スィングみたいなリズムのものもあり、色々な風合いの音楽がよかった。
踊りはコンテンポラリーダンスと呼ばれるものか。


ストーリーはあるらしい。“らしい”というのは、具体的にはっきりわかるわけではないけれども、そう察せられるから。
朝、鏡の前でひとりが身だしなみを整える。(左側に吊り下がっていた枠は鏡だったのだ) そうするともう一人やって来て、洗面所の取り合いに。
また、ホワイトボードっぽいものがテレビらしきものになりチャンネル争いが繰り広げられる。
かと思えば街中に父と母が出て行ってひと悶着。はっと通行人たちに気づき身をすくめたりする。
女装ごっこをしていた子どもが母親に見つかり、追いかけられ怒られる。
‥などのわかりやすいエピソードもあるが、大半は、何だかはしゃいでいる、何だか大騒ぎになっている等々“何だか”の先が放り出されたダンス。“放り出す”というより自由に委ねられているというべきか。
踊りから話を想像していく刺激がある。


机やいすも動かし中央に持ってきて台にしたりソファの形にしたり。そうこうしているうちにいつの間にか元に戻っている。テンポがいい。
輪郭をぼやかした映像も時折入り、現代美術の風味も。


絵画には写実や抽象画などがある。それになぞらえて考えるとこのステージは写実でもないし、抽象画でもない。バリバリの抽象画に行きつく何歩か手前の洗練されたデザイン画だろうか。というのは自分の頭の中だけの勝手な解釈。(私の頭の中だけのイメージ‥)


海のものとも山のものともわからず観に行ったが、海のものでも山のものでもなかった
でも、客席側もステージのリズムと呼吸が合い、緊張が途切れず見入ってしまった。


印象に残ったのは、お母さん(石本華江)の踊り。ダイナミックでメリハリがあった。足も高く上がっていた。お母さんが元気で家の中心的な存在だったのかな、と想像。


そうそう。台詞が全然ない、とは言っても、出演者が鼻歌を歌う場面が一か所あった。
兄(長谷川寧=作・演出・振付も)が洗面所の鏡に向かってふら〜り歩きながら(つまり客席に向かって歩きながら)
All I need is love ♪”と、調子っぱずれに口ずさむところ。おかしかった。
終演後の会場でも、ビートルズではなく女性ボーカルの優しい声でこの曲がかかっていた。


‥‥‥
その後、日常生活の中でも何気ない拍子に舞台のシーンを思い出したりもして、不思議な魅力のあるライブだった。
また違う作品も観てみたい、と思った。
ステージではないところで、美術館とか公園とかで上演したらどんなふうだろう、と好奇心が湧いた。