’08 『リハーサル・ルーム』

昨年の印象的な舞台 Part.1

『リハーサル・ルーム』 作:篠原久美子 演出:栗山民也
            日時:2008年2月24日(日) 場所:大野城まどかぴあ・大ホール


〜〜舞台上で繰り広げられる、ひとつの劇の稽古風景〜〜


話はこうだ。ある東京近郊都市のコミュニティセンター。市の文化祭のプログラムとして、市民から参加者を募りワークショップで創作劇を作っていく、という企画が持ち上がる。集まってきた10人弱の若者たちは職業も参加動機もバラバラ。演出家たちや市の担当者も含め、全員ひとくせある人間ばかり。そもそもこの企画自体、市の予算が余ったから浮上した安易なもので「道路工事よりはましでしょ。」という年度末3月実施。(身近に感じられる胡散臭さだ。)
前途多難な滑り出しで、波乱続き。果たして公演にこぎつけることができるのかどうか‥

舞台の上には、一段高い広い台が設置されワークショップ参加者が稽古を行うスペースとなっている。右隅には急須などのお茶セット、左側には音響装置。どこにでもある市民センターの一室だ。劇の中で、劇を作る過程が描かれていき、覗き見しているような不思議な感覚になる。“バックステージもの”といわれる部類だろうか。

登場人物たちは、それぞれ何かを抱えている。
それが稽古を重ねているうちに少しずつ露わになる。噴出する。時にぶつかり合い爆発する。

役者で食っていきたいとアツく言い放つ派遣社員の男がいれば、「明日から来ません」とプイっと帰ってしまう女性教師もいる。
妻につきまとわずにいられない夫や、全てから自由になりたい妻。
スタッフ間の恋愛関係。モノローグしか書けない演出家。

出演者15名は、日本で初めての国立の俳優養成所「新国立劇場演劇研修所」の第1期生。彼らの修了公演なのである。誰が主役というわけでなく15人がそれぞれの役柄をそれぞれ瑞々しく演じ、あんな奴いそう、そういうことありそうと思わせる親近感である。

稽古場には、それぞれのエゴや思惑が立ち込めている。そこから一つのものを作ろうとするにはモノローグでなく、たとえちぐはくであっても対話が必要。初めは無軌道だったやりとりだが、次第に風向きが変わっていく。その先には驚きの結末があるわけでも、あざとい感動があるわけでもない。ただ空気が変化していく感触が心地よく客席に届く。

ラスト、舞台の奥まったところで始まる劇中の劇のシーンが、青いライトに照らされて美しかった。同時に出演した修了生たち(俳優の卵たち)の門出を祝福したい気持ちに包まれた。