あかい壁の家

発掘されました。約1年前に観たお芝居の下書きが。。それを継ぎはぎ。
文中「この新作も‥」とあるのは、昨年の時点での“新作”ですので、周回遅れとなっている点、ご了承くださいませ〜



『あかい壁の家』

作・演出・出演:渡辺えり
オフィス300(さんじゅうまる) 音楽劇
日時:2013年8月29日(木) 19時〜 大野城まどかぴあ 大ホール
          9月1日(日) 15時〜 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール




〜どろりとした空間で 発光体と化した役者たちの競演〜



渡辺えりの芝居は2011年の「ゲゲゲのげ」(再演)を観たことがある。彼女の劇世界に惹かれた。なので、この新作も楽しみにしていた。主演も「ゲゲゲ〜」と同じ中川晃教。全国公演で回って来て福岡で観られるのも嬉しかった。(実は、兵庫でも観たのだが)

冒頭、主人公(中川)が、客席から登場することは、事前のネット情報で知っていた。東京や東北地方での公演が既に行なわれていて、福岡公演はスケジュール後半だったので。


ざざざざぁぁ、と雨の降る音がする。気がついたらベージュのジャケットに黒いかばんを背負った青年が、客席通路をおどおど、きょろきょろ、何かを探しているように歩いている。そして舞台にあがり、真ん中にちょこんと置いてあるキーボードの前に座り、弾きながら歌い始めた。「あかいかべのいえ、きえたまちのなかに〜」(歌詞・公演パンフより)

キーボードの後ろ、左側と右側に大きい階段がある。ここはイタリア、ポンペイの遺跡。その中にある小劇場“オデオン”。青年は水原凡平(中川晃教)。亡き祖父がある女性に宛てた手紙の謎を解くために、はるばる宮城からやって来たのだ。

すると、がやがやと何人か登場し舞台は賑やかになる。「東野味噌」という会社が行なう、宣伝のためのロックミュージカル公演「ドッグス」のオーディションをここでやるという。なぜか凡平もオーディションを受けることになってしまう‥

初めのこのあたりの場面で、役者はほぼ出揃う。「東野味噌」の社長・東野笑子(渡辺えり)、社員の北里修(稲荷卓央)と水原浪子(高岡早紀)。浪子は凡平の姉でもある。味噌会社軍団はオリンピックの開会式のユニフォームを意識したという赤いブレザーに白いボトムスの出で立ち。

ロックミュージカル「ドッグス」を1940年に書いたのが演出家の紅嶋小太郎(若松武史)。
オーディションに現われた、この役をやるため70年も待っていたという大女優と言われている者(緑魔子)。花婿・福島さんを探し続ける獣医・木ノ下朝子(馬渕英俚可)。木ノ下朝子は、ウェディングドレス姿で花婿を探していた。ちょうどその時オデオンには新郎新婦を含む団体客がいて、その新郎を自分の相手だと勘違いする。花婿一人にウェディングドレスの花嫁が二人いて、ドキリとする光景だった。ちょっとイッてしまう一歩手前の女性を演じる馬渕英俚可、よかった。

地下では、考古学者(土屋良太)が発掘作業を行っている。そこに蒲田のおっさん(田根楽子)が現われるのが不思議。

こんなふうに、なぜかイタリア・ポンペイに日本人がわんさか集まる。


以前観た渡辺えりの作品「ゲゲゲのげ」は、場面があれよあれよと変わったり、また戻ったり、脈略がないようで、実は隠された小箱をひとつずつ開けていくように、イメージがつながり物語が明らかになっていく、そういうお芝居だった。

今回も、火山噴火で埋没した古代都市ポンペイ、そこでの劇中劇「ドッグス」、地下での発掘作業、戦争中の仙台、そして2011の東北の大震災や津波原発事故を思わせるシーンもあり、時に告発調なのだが、笑いもあり静まり返ったりもしながら、時空を超えて舞台が展開、凡平のおじいさんの手紙の謎解きの旅になった。

めくるめくように場面が変わり、色々なところに連れて行かれるが、その中で魅力的で存在感ある役者たちが、セリフを発し立ち回ると、その個性でその場が支配される様が印象的だった。特に緑魔子は、発するセリフの全部が全部、彼女の内面からほとばしるもののようで、際立っていた


話は「ドッグス」の脚本が出来た1940年の日本に移ったりもするのだが、特高(特別高等警察)に目をつけられている紅嶋小太郎(若松)は怪しげなオーラを撒き散らしていた。若かりし日の凡平の祖父・ためごろうも登場する。演じるのは稲荷卓央(二役)。初めてみる俳優だったが、あたりをしんとさせる雰囲気を持っていた。(唐組の役者さんだそう)
当時、「ドッグス」主演予定はスター女優の桃園つぼみ(緑魔子)、彼女の友人が、タダノヨシコ(馬渕英俚可・二役)。桃園つぼみと紅嶋小太郎のただならぬ関係や、仙台空襲に巻き込まれたのは桃園なのか、タダノなのか、筋自体が迷宮のようにくねっていく。白いヒラヒラの、半袖ロングドレスを身にまとった緑魔子扮する桃園つぼみの「よっちゃん、ごめんね。」という甘い澄んだ声が耳に残った。

主演の中川晃教は、遠泳も姉(高岡早紀)に替わってもらうような気弱な凡平の役。勝気な姉と対照的な弱虫の弟ぶりがおかしかった。だが、印象に残ったのは劇中劇「ドッグス」の中の横暴な“悲劇詩人”役。白いスーツに、赤と白の縞々縁取りの大きな眼鏡をかけて言い放つ。「ええい、もうやだ!歌って再生しては壊される。その繰り返し!」エネルギーを爆発させるシーンは彼に合っている。素朴な青年役も可愛いけれど、こちらの役もスカっとする。
彼の歌も、もちろんよかった。歌声はいつもながら伸びやか。短調でなつかしいかんじの曲。ファンの贔屓目(耳?)でなくても惹かれると思う。
ほとんどの場面で出ずっぱりだったが、自然体でこなしていて(‥ように見えて)安心して観ていられた。

劇中劇もあり、俳優たちが複数の役をこなし面白いのだが、その劇中劇で大見得を切っていた大鶴美仁音という役者も迫力があった。

音楽劇なので、曲もたくさんある。7〜8曲くらい。ステージ右側にドラムを中心として楽器のセットがあり、出演者たち自身により演奏され臨場感があった。
大人数で歌う「味噌は味噌、そこがミソ♪」という和製ラップみたいな曲が調子がよくて面白かった。

「ゲゲゲのげ」を観た時も、誰かの夢の中にいるような心持ちだと感じたが、この舞台でも、その“夢の吸引力”は健在だった。お芝居自体が一つの詩であり、音楽であり、そこで役者たちがそれぞれに輝いていた。テーマや背景は重くシリアスだが、最後に希望が感じられるのがよかった。