赤シャツ

8月も終わり。夏休み→読書感想文→夏目漱石、、、という連想ゲームで、漱石つながりの芝居です。(自分の夏休みの宿題代わりに)
「市民劇場」という、年会費を納めて定期的に舞台をみる会に今年入会したんですが、その公演のひとつでした。


『赤シャツ』劇団青年座公演
      作:マキノノゾミ 演出:宮田慶子
      日時:2009年7月27日(月)13時30分〜 場所:ももちパレス


〜〜あの「坊っちゃん」の裏バージョン!〜〜


開演ベルが鳴り、舞台が明るく浮かびあがると、そこは昔ながらのお座敷。床の間があり、押入れがあり。下女(今井和子)が客の応対をしており主人の帰りを待っている。そこへ待ち人が白いスーツ姿で御帰還。上着をさっと脱ぐと赤いワイシャツ姿。「着替えてくる」と言い放ち一時退席、和服姿で再登場。だが着物の下にはちゃーんと赤いシャツを着用。この中学校教頭はいつも赤いシャツを着ている。そう、夏目漱石のあの青春小説に出てくる嫌な奴「赤シャツ」(横堀悦男)がこの舞台の主役なのだ。

座敷で繰り広げられるのは「ミューズの会」。教師仲間でお互いの文学作品を発表し合うらしいのだが、その場で英語教師“うらなり”(宇宙)と名士令嬢“マドンナ”(安藤瞳)の婚約解消が両人の口から発表される。しかも後からマドンナがこっそり打ち明けることには、自分は赤シャツに惹かれていると。慌てる赤シャツ。彼には贔屓にしている芸者・小鈴(野々村のん)がいることも観客には知れている。

舞台が回転して宿屋の一部屋。外は日露戦争の勝利に浮かれている。赤シャツ教頭は数学教師“山嵐”(大家仁志)の主任昇格を祝うため一席設けるが、うらなりとマドンナの破談が教頭の裏工作だと思い込む一本気な山嵐はすざましく彼を糾弾。説明すればするほど誤解が広がり、そこに小鈴もやってくるわ、芸者に酌をしてもらおうとロシア人捕虜(チャールズ・レント)も追ってくるわで・・・。

お馴染みのあだ名が次々に出てきて、学生時代に読んだ漱石の小説が蘇ってくる。小説の細かな筋はおぼろげなのだが、部分的にはこの舞台の創作であるらしい。しかし作りものでなく、これが裏側の真実ですよ、というような自然さで、含み笑いしたくなる。

回り舞台で場面が変わるたびごとの暗転で“坊っちゃん”のナレーションが入る。小説の一節であるようだ。坊っちゃんの出演はこの声のみで姿は現わさない。

主人公である赤シャツは、決して褒められた人間ではない。
下女・ウシに何度もたしなめられる。「旦那さん、そんなに八方美人じゃ・・・・」
「いや、はっきり言うと角が立つ。」彼は必ずそう言い返す。今の世の中でもそこらへんにいそうなタイプ。
マドンナにもきっぱり断れないし、学校内のトラブルに対しても世間体を気にして決断を下せない中間管理職。事態の収拾がつかなくなると、お約束のように胃が痛みだす。ずるい手を使って戦争にも行かず、弟(高義治)から軽蔑される。無鉄砲で無茶だが「男らしい」坊っちゃん山嵐とは正反対。しかし観客はこの玉虫色の赤シャツを切って捨てられない。優柔不断だが人間味豊かで、あろうことか共感さえしそうになる。どぎつくなく好感の持てる演技も一役かっていると思う。
笑ってみながら、自分の身の回りの“悪役”の“おじさんたち”も、彼のようにそれぞれ事情を抱えているのだろうか、日常に当てはめてみたらどうだろう・・・という気もよぎったりした(当てはめませんでしたけど)

赤シャツにあれこれ言いつつも彼を理解し支える二人の女性の存在が光る。戦争の痛手を受けながらもけなげに生きる芸者・小鈴と下女・ウシ。小鈴は悲しみを秘めながらもカラリとした持ち味で、揺れる心を表現していた。さらに、今井和子のウシの演技はひときわ目を引き舞台の大きなアクセントになっていた。身のこなしが軽い。たとえば客人たちのいる座敷を襖を開けて出る。襖を閉める。そこで体がふわりと翻る。去ったとみせかけて盗み聞き。体だけで雄弁に物語る。主人の赤シャツに説教もよくするが嫌味でない。先の戦争である日清戦争の体験を切々と語り心に響く。だが押しつけがましさはない。柔軟で自由自在である。

身のこなしでいえば、出番は少ないが宿屋の番頭(田中耕二)も印象に残る。やはり、客のいる部屋では調子を合わせているが、一歩襖の外へ出ると、ぷいっと、やってられねぇよ、というような歩き方に。一瞬の軽い立ち居振る舞いだけで雰囲気をガラリと変えてしまっていた。

後半部少し速度が落ちたようなところもあったが、テンポよく楽しめ、時に考えさせられ、またホロリとさせられた。

舞台セットは、時代を再現したような本物志向。特に赤シャツ宅の洋風の書斎は洒落ていた。本がずらっとあり、蓄音器、机。電気スタンドに隠しているスコッチウィスキー。レコードに針を落とすとノイズ混じりの「野ばら」や「鱒」。

終演後は、パズルをするする解いてみせられたような開放感が残り面白かった。気をてらうわけでなく光のあて方を変えるだけでこうも違うものが見えるとは。
「〜ぞなもし」「剣呑だ」など、漱石小説によく出てくるフレーズも、俳優たちは口にしていて、久しぶりにもう一回「坊っちゃん」を読み直してみたいと思った。