風を結んで

6月末、観劇のため大阪へ。素晴らしい舞台だった。
ちょっと泣いた。なんで自分が遠出をしてまでお芝居を観に行くのかっていうのもわかった気がした。

その時の感想を走り書きした雑記帳をもとに、少しずつ文章にしてて、雑事で中断。んで、また少し文章にして、中断。そしてまた‥ ‥ と繰り返すうちに、気づいたら夏も盛りで‥

暑中お見舞い申し上げます。



『風を結んで』


演出・振付:謝 珠栄
脚本:大谷美智浩
ミュージカル台本:T.S
音楽:甲斐正人
美術:大田 創

日時:2011年6月28日 19時〜 場所:シアターBRAVA!(大阪)


〜混迷の時代 サムライでなくなった若者たちは〜



明治初頭。“侍”という地位と職業を失った者たちの話だ。歴史的大転換の時代に、もがきながら生きていこうとする若き元・サムライ三人を中心に、笑わせながら、歌と踊りで楽しませながら、そして白虎隊や西南戦争とも深く関わってくる舞台。涙も誘われる。日本オリジナルのミュージカル。
その大阪公演・初日を観た。
これに先立って上演された東京公演、名古屋公演の評判もよかったし、期待はしていた。色々な情報に触れ、きっと自分はまた感動するんだろうな、と妙にわかった気になったりもした。
しかし。
身体ごと揺さぶられるこの感覚は忘れていた。
劇場を包み込む音楽と歌声。骨太のストーリーは“3.11”後の今と重なりを持つ。生命へのエネルギー溢れる公演だった。


幕が開く前、また幕あいには、客席に静かな鈴の音が響いていた。穏やかだが波乱の前触れのような音色だ。

オープニングは武士たちの群舞。そして一人の役者が明治という時代を語る。身分を失った侍たちは、給料がもらえなくなった、と。そうだったのか、と私は初めて気づいた。大政奉還、四民平等、廃藩置県‥教科書に出てくるような数多の用語、その四字熟語が今までは意味を持たず言葉だけが頭をすり抜けていっていた。侍たちは路頭に放り出されたのだ。明治は大量失業時代だったのだ。ハローワークもない。さてどうする。

 
そんな元・武士の若年失業者・平吾(中川晃教)、田島さん(藤岡正明)、弥助(小西遼生)は、偶然知り合った洋行帰りのお嬢さん・由紀子(大和悠河)と捨吉(山崎銀之丞)から、外国人に剣術を見せるパフォーマンスの一座をやらないかと勧誘される(誘いでなく、ほとんど強制だが)。
いくら食うに困っているとはいっても、侍から芸人への転身は簡単に受けいれられるものではない。そこらへんは喜劇調にテンポよく進み、世の中がどう変わろうと“侍”を捨てない右近(大澄賢也)を言いくるめ、また行き場をなくしたり、野垂れ死にしそうな元・侍たちを巻き込んで、一座が結成されていく。
右近の妹・静江(菊地美香)と平吾のおずおずとした初恋物語もはさまれる。



生きて生きて生き抜こう



自称“三ばかトリオ”の片山平吾、田島郡兵衛、加納弥助のやりとりがおかしい。

平吾はいつも、まっすぐで前向き。主演の中川晃教は、持ち前の弾むようなエネルギッシュさと抜群の歌唱力で、迷える明治の若者を、いつも通り体当たりで演じていた。

彼の「生きて生きて生き抜こう」というセリフが心に残る。
葛藤の末、武士道で是とされる死への美学や今までの価値観を、全力で捨て去った後の言葉であるだけに胸にささった。また、今現在、三月を境にひっくり返った世の中にいるからこそ響いてきたのかもしれない。

中川晃教が平吾のような陽性の元気印の役をやるのは、観る前からしっくりきていた。
しかし、その中でも、明るいだけでなく悩みや苦しみの表現の幅が、ちょっとしたところで感じられるようになったと思った。 (孤独なチンピラ、邪悪な支配者、など、今までに演じてきた複雑な役柄の演技の片鱗が感じられた)

歌については今さらながらだが素晴らしくて、「風を結んで、約束しよう」とのびやかに歌うと、さぁっと青空が広がっていくようだ。セリフから続けて静かな声で歌い出すところも自然だった。
(思う存分、彼の歌声を聴くことができて、私としてはとても嬉しかった)


田島さん。三人の中では少し年上の、丸メガネをかけた、おっちょこちょいでちゃらんぽらんの人物。でも憎めない。面白い。演じる藤岡正明は、今回初めて観た。翻訳もののミュージカルのチラシで主要な役に名を連ねているのをよく目にしていたが、今までの役はこんなではなかったはずだ。驚いた。これしか観てないのだが、これが地なのでは、とさえ思えた。
どこまでも明るくて、切ないほどだった。
中音域で伸びる歌声が、太く柔らかく力強く響いた。中川晃教の高めの歌声と対比的でいいと思った。


弥助。小西遼生。頭が小さくて背高イケメン。でも三枚目。他の二人よりちょっと引いている性格。歌声もよかった。


このメイン三人以外の登場人物も、全員メインといいたいくらいのはまりようだった。


橘右近。天地が逆さまになろうとも、侍であることをやめない。いや、やめられない、変えられないのだ。彼の姿が当時の武士の大多数だったのではないかと思う。彼に扮した大澄賢也、踊りにキレがあって、歌は低めの声で安定していた。右近なりの筋を通した生き方を見せていた。


対照的な二人の女性が出てくる。

元・武士を集めて芸の一座をやりたいなど突飛なことを言い出す大林由紀子。大和悠河は、顔が小さくて立ち姿がすぅっとしている。西洋帰りで西洋かぶれのお嬢さまをからりと演じていた。

太陽タイプの由紀子に対して月タイプは静江。家のために自らが犠牲になろうとする。常に一歩ひいていて「すみません」が口癖。演じる菊地美香は幼さの残る可憐さ。「花は愛でられずとも花」 人目をひかなくても、花は花であることには変わりない、とハリのある声で歌い上げ、けなげさにホロリときた。静江の芯の強さが感じられた。

山崎銀之丞扮する捨吉は、由紀子お嬢様のお世話役でありつつ、このお芝居の狂言回しでもある。要所要所で解説を加える。只者ではない、ワケありか、という雰囲気を漂わせる銀之丞、渋い存在感。歌うシーンは2、3フレーズで、台詞が主。場面で声の調子も変えて切迫感や迫力を出していた。さすが。

そして一座のメンバーたち。
佐々木誠一郎(照井裕隆)、新畑伝四郎(小原和彦)、栗山大輔(俵和也)、齊藤小弥太(加藤貴彦)全員身のこなしが軽い。お芝居もしっかりしている。


出演者はこの11人のみ。エキストラが沢山いるのかと思うくらい群舞やバックでのダンスは迫力がある。大勢での踊りの中で、赤い獅子が2,3度登場して舞うシーンが印象に残った。



歴史のうねりのなかで


パフォーマンス一座は、すったもんだの騒ぎを繰り返しつつ公演で大きな拍手を受ける。このままこのお話も、“めでたしめでたし”へ向かうのかと思いきや。
一座の中に会津藩の生き残りがいると噂がたち警察に目をつけられる。世の中の不穏な空気が迫ってくるのだ。

苛酷な現実が目の前に迫り、三人組・男子校もどきの青春はどうなる?
一番ふざけていた田島さんはどうする?弥助は?平吾は?


戊辰戦争会津藩西南戦争、自分のぼんやりした歴史知識が、芝居をみて一つにつながった。


この舞台は出演者は一新されているが、数年前のものの再演。
福島会津藩・白虎隊の出来事が下敷きになっているこの劇が、このタイミングで再演されるという偶然も、何かのメッセージなのだろうか。



最後に曲について。
日本の時代物のお芝居で、かつミュージカル。そんなタイプの舞台に合う曲はあるんだろうか、と少し心配に思う気持ちもあった。
が、実際観てみて、素直なメロディが自然に違和感なく耳に入ってきた。
短調の曲ではオーストリア・ミュージカルを思い出したりした。(「モーツァルト!」や「エリザベート」など)
ブロードウェイの「エクウス」や「レント」みたいな曲ではなかった。
パンフレットをみると、「作品全体を和物的な音と、和風ポップスで構成しています」とある(音楽:甲斐正人)。なるほどなぁ、和製ミュージカルをこうやって表現できるのかと思った。


役者は皆、役柄にぴったり、音楽も耳になじみやすく、舞台装置もシンプルながら様々に変化(美術:大田創)。
こうなるともう、観客は客席にいながら舞台と一緒に笑って泣いて、そして心を揺り動かされるがままになる。
遠い昔の、自分とは接点のない人物の物語なのに、自分たちの話のように思えてくるのだった。