世界は一人

今日、近所のショッピングモールに出かけたら、親子連れで賑わっていた。

そうか、昨日は小学校の運動会だったから、今日は振替で学校がお休みだったんだ。

お疲れさまです。‥(って、誰に向けての言葉?)

 

観劇の感想を一つアップします。

 

 

 

『世界は一人』

 

f:id:chihiroro77:20190414115113j:plain

 

 

脚本・演出:岩井秀人

音楽・出演:前野健太

出演:松尾スズキ松たか子瑛太平田敦子菅原永二、平原テツ、古川琴音

演奏:前野健太と世界は一人

日時:2019年4月14日(日)13時~

場所:北九州芸術劇場 大ホール

 

 

岩井秀人 初の音楽劇~

 

 

この舞台の脚本・演出担当の岩井秀人は劇団「ハイバイ」の主宰者だ。「ハイバイ」のお芝居は、いつも何だか暗くて、大仰ではないけどぞわぞわしてきて、そしてなぜか可笑しい。現代的な重いテーマを扱いつつ笑いもあり、ざわりとした妙な魅力。まぁどれも好き嫌いが分かれる作品かもしれない。

 

そんな作品群を生みだしている彼が、今回は音楽劇をやるという。キャストも豪華。音楽は前野健太。これで、いつもの“暗・可笑しい”(クラ・オカシイ=暗くて可笑しい)世界が一体どうなるのか、興味津々。

 

舞台の中央左寄りに、パイプで組まれた足場のような大きな骨組み。中ほどにベンチがある。公園の遊具(回転ジャングルジム)のように、手で押すとゆっくり回る。

家になったり、外のベンチになったり、場面場面で違うものになっていた。

 

“足場”てっぺんから右上方に煙突のような筒、中が見えるつくり。

 

舞台右半分には楽団のメンバー(ドラム、ベース、キーボード、ヴォーカル&ギター)が散らばっている。ここにも中ほどにベンチがある。(美術:秋山光洋)

 

ギターを抱えたマエキン(前野健太)のセリフから、お芝居が始まる。舞台左半分に布団がわさわさ置かれていて、林間学校かなんかの宿泊の夜の様相。

 

松尾スズキ扮する森吾郎、松たか子扮する田辺美子(みこ)、瑛太扮する佐々木良平、この三人が同級生。小学校時代から中年まで描かれる。パンフレットによると「舞台は、かつて巨大な製鉄所を中心に栄えたが、今は疲れ切ってシャッター街となった海辺のある街。」‥北九州という設定だ。ただセリフは全て標準語だったので、その点では九州というかんじではなく、日本のどこかの地方のまちという印象を持った。

 

過保護気味に育てられる吾郎、裕福だが家庭の温かさを知らない美子、ヘンにプライドが高い良平。小さいエピソードが積み重なり、例によって悪い方へ悪い方へころがっていく。

 

女一人、男二人の同級生の半生

 

三人の役者は、特に作り込むこともなく、そのままの姿で子ども時代から始まりそれぞれの年代を演じていた。いや、三人だけではなく他の四人の出演者も同様。しかも各々(瑛太平田敦子以外)二役~三役を演じるのだが、特別なメイクなどせずに素のままでこなしている。(平原テツの不良少女、どうみても10代~20代の古川琴音がそのまま演じる80代女性‥など)それが違和感ではなく、妙なおかしみを醸し出していた。

 

時折、セリフから自然につながる歌があった。

誰でも口ずさめそうな素直でシンプルなメロディだった。

 

俳優陣はみんな個性を発揮させていたけれど、瑛太がアブない雰囲気の人物を、あの大きな舞台上で自然に演じていたのには驚いた。引きこもり初期あたり(?)で披露するラップが調子っぱずれで、危うくてはらはら。これを演技でわざとやっているのかと思うとすごい。(って演技じゃなかったらコワいけど。)歌もなかなかいい。

 

松たか子は、吾郎の母役としては介護疲れで、鈴の音のようなきれいな声のまま精神バランスがおかしくなっていって、美子としては、やっぱり美しい声のまま、母子密着気味から逃れられず、凛としているだけにギャップが刺さる。松尾スズキは、吾郎役の思春期時代、家族と仲良く過ごしているのを友人たちに見られたら恥ずかしい‥と困惑のセリフを長々と言うところの力の抜け具合がおかしかった。

 

ヴォーカル&ギターのマエキン(前野健太)は音楽だけでなく、ト書きのようなナレーションも多く、狂言回し的な役割も。完全に舞台世界に溶けこんで、サングラスの風来坊のような。

 

「ハイバイ」からの出演者は一人。平原テツ(←福岡出身)。立っているだけで不穏な雰囲気は健在。セリフを口にするとますます不穏。

 

菅原永二は、フツーの人のような、ズレている人のような、そんな妙なかんじ。(以前の出演作ハイバイのお芝居『おとこたち』を観たときでは、岩井秀人に似てると思って、というか、劇の半分近くまで岩井さんだと勘違いして観てしまった‥。今回は、そんなことはなし。)

 

吾郎と美子の娘、藍を演じた平田敦子。舞台右側にあるベンチにいて、両親の幼少期からの物語をずっと見ている、不思議な存在感。瞬発力あり。

 

古川琴音は、華奢なように見えるが、声が通って聞き取りやすかった。やっぱり、その姿のままで扮した“おばあさん”に、ふふふと笑ってしまった。

 

 

今までに観た「ハイバイ」のお芝居は、『投げられやすい石』(2011年)、『ある女』(2012年)、『おとこたち』(2014年)。いずれも500席以下のホールだった。今回は「ハイバイ」の公演ではないけれど、その延長にあるものとして観たのだが、1200席以上の規模。いつもは小さめの劇場で小さい劇場ならではのカタルシス的なものがあったというのが私自身の印象だったが、今回は、趣が違った。音楽があり、主に三人の歌声が救いではあったけど、それでもやっぱり、ざらざらの手触りの“ざわざわ”は消えなかった。そこらへんは“面目躍如”というべきなのか?とも思った。

 

f:id:chihiroro77:20190414124157j:plain

やはり今回も撮ってしまった小倉城