歌うシャイロック

2月の終わりに博多座で観た舞台です。

京都・南座博多座ときて、今週の木曜日、3月16日から、東京・サンシャイン劇場での公演を控えています。

 


『歌うシャイロック

作・演出:鄭義信

音楽:久米大作 美術:池田ともゆき

 

出演:岸谷五朗中村ゆり岡田義徳和田正人渡部豪太小川菜摘、駒木根隆介、

福井晶一、マギー、真琴つばさ ほか

 

〇日時:2023年2月26日 17時~

〇会場:博多座

 

~関西弁のヴェニスの商人

 

チラシによると「…数々の名作を世に送り続ける鄭義信シェイクスピアの「ヴェニスの商人」をもとに金貸しシャイロックを主人公に再構成した傑作舞台。」ということだったが、誰か一人が主人公というよりも、それぞれの人物の個性が際立っていて、群像劇のようであり、面白かった。

 

全編関西弁、歌あり踊りもあり。とにかく皆さん、弾けたり、沈み込んだり、こなれている。それだけにシリアスな場面では、切実なものが迫って来た。

役者それぞれが持ち味をのびのび発揮して、笑わせつつも(悪ノリもあったが)深いものがあり、余韻が残る舞台だった。

 

****注・以下ネタバレあり。これから観劇予定の方はご注意ください***

 

今回、3階席からの観劇。舞台全体が見渡せて、ここもまた好きだ。ステージ上には大きな橋のような装置。左側と右側に階段。中央部にも広めの階段。この“橋状”のものは2箇所ぐらいで切れるようになっている可動式で、場面によって回転して形状が何通りかに変化していた。

衣装は当時のヴェニスのものではほぼなく、現代劇でもいけそうなかんじだったが、関西弁で演じられているせいもあるのか、違和感はなかった。

 

全二幕。肉眼とオペラグラスでの鑑賞。

 

自身の商船が全て海上に出ていて所持金0円であるアントニーオは、友人パッサーニオのために自分の肉1ポンドを担保にシャイロックから借金をする。アントニーオ役は渡部豪太。均整のとれたスタイルのスーツ姿が舞台に映える。すっきりした立ち姿。セリフもよく通る。いつもユーウツを抱え悩み過ぎている青年を嫌味なく演じていた。存在感あり。彼に関してはEテレの「ふるカフェ系 ハルさんの休日」で古民家カフェ巡りをしている様子くらいしか知らなかったので、驚いた。

 

パッサーニオは、これまた声がよく通り、時々ウラ声に近いくらい高くなったりして可笑しみを醸し出すお調子者風。達者だ。オペラグラスを使っても誰が演じているのかわからなかったが、幕間にチラシを見て岡田義徳だと判明。わぁ~。「木更津キャッツアイ」は何年前になるんだろう…と、しばし遠い目。

 

この二人の強すぎる絆は、何?という造りだった。

 

 

シャイロックの愛娘ジェシカにゾッコンな若者ロレンゾーは和田正人。吃音の気弱な青年、そんな彼が見せる二面性。さりげなく振り幅大。全裸も厭わぬ熱演。彼の場合は箱根駅伝の堂に入った解説者ぶりが私には印象が強かったので、これまた驚いた。おみそれしました。

 

ジェシカの中村ゆりは、可憐でお茶目、健気さと狂気とはかなさ。いくつかの面を見せていたが透明感があった。

 

歌が圧倒的に上手いのはポーシャとその侍女。この二人のパートは音楽の比重が大きく楽しかった。ポーシャは真琴つばさ。さすが“男前”な雰囲気。軽快なコメディエンヌぶりだった。

侍女は男性が演じていた。でっかくてユーモラス。異様に歌が上手。オペラグラスで覗いても誰だがわからない。愛之助に似ているような…。幕間にチラシを確認。えっ?福井晶一?びっくり。。。道理で歌が上手いはず。何年か前、ジャージー・ボーイズでは、ニックを演じたよねーと、驚きのあまりタメ口で誰かに話しかけたくなる心境。

 

マギーはアントーニオの友人役と、後半のヤマである裁判を仕切る公爵役と二役。余裕綽々。ちょっとしたセリフや仕草が可笑しい。(どうかしたら出てきただけで可笑しい。)

 

シャイロック役は岸谷五朗大漁旗のようなド派手な法被が似合っていて貫禄。(裁判のシーンでは黒のスーツでダンディだったので、個人的には“大漁旗法被”の延長の衣装で通してほしかったが) 家族を思いやり商売に励んでいるというスタンス。娘への愛情にほろりとさせられる。愛嬌のある“冷酷な金貸し”という幅がある人物だった。

 

シェイクスピア版「ヴェニスの商人」は随分前に観劇したことがあり記憶の輪郭は残っている。そのシェイクスピア版を思い出すと、この舞台はそこから膨らませたり脚色したりしているのがわかる。具体的にどこがどうと言えるほど記憶が鮮明でなく、原作の吟味も追いついていないのだが、この舞台を観ていて、“正義”の尺度から漏れ落ちたものへの眼差しが感じられた。

 

何が正義かと問われれば正解はない。だが追われゆくものの無念に対してかすかな希望の気配があり余韻となった。

 

そして、パンデミックを経て、生の舞台を観る機会が貴重になり、今回、改めて感じたのは。

大声で泣く、泣きわめく、人目をはばからず泣き叫ぶ…

舞台上の人物は、観客の心のうねりの身代わりなのかも、ということ。舞台の上の人たちの感情の揺れが、なにげなく客席に染み込んできた瞬間があった。