龍馬伝

1月は行き、2月は逃げ、3月は去り。4月まで…ブルータスよ、お前もか。
更新がずいぶん途絶えてしまいました。舞台はそこそこ観てはいます。でも今回はテレビドラマ。



龍馬伝 NHK総合 日曜・夜8時〜8時45分



〜声に出して真似たい土佐弁〜



初めは一回目だけみるつもりじゃった。けんど面白いぜよ。
 ちっくとはまってしまったがじゃ。
これは独白。

NHK大河ドラマ。いつもチラチラとはみるが、腰を据えて観ることは稀だ。
だが今年は‥「毎週、楽しみにしちう。」(2010年5月初旬現在)


今回の大河は一風変わっている。
画面の風合い。従来のスタジオ録りでなく全篇外で撮影しているかのような画質。(本当に戸外でロケしているのか、或いは実はスタジオなのかは未確認) 人工の光でなく、暗めの自然な光で、映画のような映像(時々暗すぎる時もあるが)。

音楽。好評だった同じNHKのドラマ「ハゲタカ」を思い出した。斬新なハーモニー。ヨーロッパのどこかの民族の合唱団のようだったり、モンゴルの喉歌を彷彿とさせたりなど、ワールドミュージック風だ。(音楽は「ハゲタカ」と同じ人―佐藤直紀―が担当していると判明) 


肝心のドラマの内容も、毎回胸にぐっとくるところや手を握り乗り出してしまいそうな山場がある。スピード感あり、その中でも静と動があり、フラッシュバックあり、二つの出来事の同時進行ありで、臨場感が高まる。


そして何より。台詞が‥“うつるんです” 土佐弁が。
私の周囲に感染者が広がっている。


龍馬「どいたら、どいたら、いいがぜよ〜
友人Aが耳に残ると言っていた台詞。言われてみれば、福山雅治が演じる龍馬は、しょっちゅうそう言って困っている。

今まで様々な役者が龍馬を演じてきた。その数だけ思い入れもあり龍馬像も違っていたと思うが、今回の龍馬は言ってみれば“不思議くん”。 “天然”というか、悪く言えば“KY”というか。(だからこそ旧来の価値観を破り新しい発想ができたのだろうか。)
剣の腕はたつが、平和主義者。周りがいきり立ち武力に訴えようという趨勢になるといつも止めに入る「ちっくと待ってつかぁさい。」「命を無駄にしたらいかんぜよ。」

こういう人間はクラスに一人くらいいそうではないか。何を考えているのかよくわからないが、物にこだわらず器が大きそうな人物が。


ドラマのキーパーソン、土佐の幼馴染み三人、龍馬、武市半平太大森南朋)、岩崎弥太郎香川照之)。彼らが同じクラスにいたとしたら、学級委員は武市だ。人望があり彼が主宰する学問と剣の道場には多くの人が集まっている。この国を守るためには“開国”でなく“攘夷”しかないという考えで、土佐勤王党を結成。国を憂えるあまり、次第に先鋭化していく。攘夷原理主義というか。「待ってつかぁさい。」といくら龍馬が止めても無駄。

冨。達者にしちうか。さびしい思いをさせてすまんのう。けんど、それももうすぐ終わりじゃ。
故郷に残してきた妻に、こんなに優しい文(ふみ)を送る優等生のクラス委員が目的のためには手段を選ばない非情な男に変貌していくのだ。
(これは一世紀半前のことでなく、今も世界のどこかで起きている話かもしれない。半平太はあなたの隣にいるし、あなたの中にもいる。どんな人にも無意識の融通の効かない塊が潜んでいるかもしれない、そんな気もしてくる)



わしは龍馬が大嫌いじゃ」そう言い放つのは香川照之扮する岩崎弥太郎。弥太郎から見た龍馬という視点で物語が進み、ドラマでは龍馬の無闇やたらなヒーロー化に歯止めをかけていて、いい。ナレーションも弥太郎。ぼろを身にまとい顔も汚れ歯も黒い弥太郎といい、落ち着いた語りといい、香川照之は秀逸だ。龍馬への、愛憎半ばする屈折した思いを、表情で、時には眼だけで表現する。隙がない。
印象に残っているのは、脱藩した龍馬と大阪で再会したシーン。藩を飛び出してから見聞きしたことを屈託なく楽しげに語る龍馬。お尋ねモノとなった彼の捜索を命じられていた弥太郎の胸中は、その表情が雄弁に物語っていた。いつでもそうだ。地を這うような努力を重ねても報われない身分であり、天衣無縫な龍馬の前では自分が小さく感じられてしまうのだ。これから弥太郎がどのようにして這い上がっていくのか、香川弥太郎が楽しみだ。

侍とはいえ極貧、それでも農民を見下す弥太郎の父・弥次郎(蟹江敬三)、その中で誇りを失わず生きる母・美和(倍賞美津子)、悲惨であるはずなのにどこかユーモアの漂う岩崎家のこれからも気になる。


さて。とは言っても、物語は既にもう土佐を離れている。今後も今まで通り耳に残る土佐弁が聞けるのだろうか。


人は命を使いきらないかん」龍馬の今は亡き父・八平(児玉清)の言葉。
おまんのやりたいように、やるがじゃ。」男勝りの姉・乙女(寺島しのぶ)の台詞。「脱藩」とは今の感覚でいえば「亡命」のような重い意味を持つことが伝わってきた。脱藩者を出した家は取り潰し。それでも龍馬の家族たちは狭い殻に収まりきれない彼の衝動を見殺しにすることができなかった。この家族にして、この子あり。言葉少なに遠まわしに、藩を去ることを認める。(結局坂本家はお家取り潰しは免れた。)

後日、龍馬から届いた手紙。
ねえさん、どういてどういて、にっぽんは広いぜよ」(「にっぽん」の「に」にアクセント)


わしは天才じゃきー、何をしてもええんじゃ!土佐藩の重鎮・吉田東洋田中泯)の台詞。友人Kの職場で大流行したとか。睨みをきかせ、おもむろに口にする土佐弁の凄み。半平太一味に斬られてしまったが、出番がなくなってしまったことが実に惜しい。


武市センセイ(最初の「セ」にアクセント)、風呂はいつ入れるがですか?」」“人斬り以蔵”こと岡田以蔵佐藤健)は、武市を盲目的に信奉する寄る辺なき非行少年。勤王党上層部が政治的策略を巡らせているところへ、入浴のことを尋ね大顰蹙。忠誠心を示したいばかりに人を斬り続ける。


男の人は、なんであつくなるんどすやろ」結ばれなかった龍馬の初恋の相手・平井加尾(広末涼子)。京都の動きを探る任務を負い、都へ送り込まれる。数年後龍馬と再会するが、その時も土佐弁で、京の言葉が出たのは二言三言。母国語とはちょっとやそっとでは揺るがないものである。(だけど実際のところはどうだったんでしょう)



ところで、福山雅治がかっこいいから面白くない、という人もいる。しかし私には、かっこよくは見えない。黒船を目の当たりにした龍馬。うぉ〜と叫んで腰を抜かさんばかり。身体に受けた衝撃がこちらにまで余震。そしてその後、ネジがゆるんでしまったような脱力。
そのショックが体感的に伝播する。外国の凄さを肌で知ってしまったからこそ、狭い場所も、張り巡らされている垣根も、取っ払いたくなったんだと思う。

また、脱藩を決意したとき、心の中で家族の名を一人一人呼びながら「ごめんちゃ」「ごめんちゃ」と涙。大の大人がである。


これから、舞台はいっそう血なまぐさく混乱していくはず。龍馬はいつまで、このまま無邪気でいられるのだろう。このまま直球勝負のピッチャーでいくのだろうか、やっていけるのだろうか。

歴女でもなく、この時代が特に好きというわけでもないが、当分は目が離せそうにない。いや、“耳”が離せない。百五十年後の現代に生きてはいるが、歴史の答えを知っているという気持ちにはなれず、週末の夜、テレビの前に座っている。



追伸:土佐の言葉、変なところがあったらご教授ください。ドラマみて復唱しているだけの初心者ですので。