NODA・MAP 「兎、波を走る」
博多座で明後日までです。大千秋楽です。
チケットは売り切れだったのを、リセールで手に入れて、昨夜観てきました。
当日券&リセール(公式)もあるので、あきらめかけている人がいたら是非観劇にトライを。
…感想は後日。(といっても、うまく感想をまとめられる自信はなし)
ツィッターの今夜のスポーツ・トレンド(?)とかいうのに「ホークス10連敗」っていうのが挙がっていた…
どうしたの、鷹? たとえネガティブなものであっても記録を更新したいとかいな?
そして、日ハムが一歩先を行く11連敗。
普段はラジオ前の特等席(?)でホークス応援ですが、今年は久々に聞いているのがつら~い、と違う番組(FMとか)に変えてしまうこともままあり…
今シーズンは3月のオープン戦に続き、交流戦にも行く機会があり、珍しく前半戦の時点で2試合もドーム観戦♪…と一時期は喜んでいたんですがね。
交流戦の観戦記、下書きしていたのを、なぜか無意味に保存していて、こんなタイミングで今更ですがアップします↓↓
6月1日(木)
交流戦最初のカード。福岡ソフトバンクホークスvs.中日ドラゴンズの三試合め。
前日はホークスはいいところなく残念な結果だったので、今日こそは。
球場に到着したら、1回裏で、1番バッター中村晃、ヒット♪
ラジオもいいけど、実際に観戦するのはやはり、わくわく。
そのままホークス先制。…が、追いつかれ。けど、またリードし。…が、…という、シーソーゲームというやつ。わくわく、と、あらら、が交互にシーソーで、実際、観客席の椅子の上でじたばたシーソー運動してしまった。
試合を目の当たりにすると、フライ一つを、こともなげにキャッチするのも、すごいな~と感じてしまう。ドームの天井あたりにまで上がった球をよく捕れるものですね~
ラジオやテレビだと当然…だと見てしまうシーンなんですが。
キャッチャーの後ろ側の席で観るのは初めてだった。
甲斐キャノンが、ズバッと盗塁を阻止する場面、周東選手が、めちゃくちゃ警戒されているのにシューっと盗塁を決めてしまう場面。目撃できた。ズバッと&シューっと。
甲斐選手は、ランナーを刺すのに二塁の右側のあのスポットに鋭角で投げていた。
計算されている角度か?!あれが甲斐キャノンか…と思った。
そんなこんなで、途中で思い出した。春に読んだ本のことを。
明治時代の野球黎明期はグラブをつけずにプレーしていたと書いてあった…
無理だ~絶対、ムリ。
試合を目の前にして、改めて無理!と思った。自分がプレーしているわけじゃないのに
選手がバシっと捕球するたび、手のひらに震動が伝わってくる気が。これを素手で捕るなんてねぇ。
↑ご覧の通りのシーソーゲーム。
普段、パ・リーグの試合しか馴染みのない自分には、セの選手を知ることができるのも交流戦の醍醐味。中日の祖父江投手(左の選手)、名前はよく聞くけれど、こんなふうな髭をたくわえた選手だったとは。「男爵みたい。」とは、今回の観戦に声かけてくれたNさんのつぶやき。確かに鹿鳴館風(なのか?)。
川瀬晃(ひかる)選手(右の選手)。この日、体調不良の今宮選手に変わりショートで出場。(イマミーに会えず残念。が、ヒカルくんのプレーが見られたのは嬉しくもあり。)登場曲が、チャゲ&飛鳥の「太陽と埃の中で」だった。若い選手なのに(25歳)、懐かしい選曲。
↑1点ビハインドのまま、9回。この回のホークス、ピッチャーは鷹の玉三郎(とか言われることもある)板東湧梧投手。
ちなみに、彼のプロデュース商品「ばんドーナツ」は見つけられず食べられなかった。(選手のプロデュース商品が福岡ドーム内のコンコースの店舗で販売されているのです)
試合はこのまま進み、9回裏のホークスの反撃に期待。
が。
中日のマルティネス投手に抑えられた…190㎝の長身からの投球。ありゃりゃ~
…と、抑えられてしまいましたとさ。
残念。
そういえば、オープン戦を観に行った時も、イマミーは体調不良でお休みだった。それに続けて今日も。私が行く日に限って…残念(…といじけてみる。)
イマミーも出場して、勝利の花火を見る…というのは、もしまた観戦の機会があったら、その時の目標?目当て?…いえ、お楽しみに。
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ちょっと~たった50日前なのに、なんか牧歌的。
それに、この日も負けたけど5点も取ってるし。
さて、明日の試合はどうなることでしょうね??
いつの間にか交流戦まで、あと7試合となりました(←ホークスの場合)
シーズン前WBCもあり、そわそわしていた3月初旬、球春の序章として読んだ本です。
『"野球"の名付け親 中馬庚(ちゅうまん かなえ)伝』
1988年刊 ベースボール・マガジン社
(amazonより↑)
この本は、ベースボールを「野球」と訳して、このスポーツの普及に寄与したという中馬庚の伝記だ。また彼は『野球』という著作もあらわしていて、昭和45年に野球殿堂入りしている人物。
ここで、あれ?正岡子規は?…と立ち止まった。
はしがきには、こうある。「巷間、俳聖子規が「野球」の訳者であるという説が流布されている。」これは昭和63年(1988)の出版だが、私も今でも漠然とそう思っていた。
だが、この本によると、子規も確かに明治時代に「野球」という語を用いたが、それは雅号として使っていたもので、本名の『升(のぼる)』をもじって「のボール」という意味で用いていたそう。
著者の城井睦夫は、書籍などを通し中馬氏のことを知り、同じ鹿児島出身であったことから、彼のことをもっと広く知ってもらいたいと、新聞連載として伝記を執筆、それが一冊になったのがこの本だ。
ここで、野球殿堂のホームページを見てみた。「野球殿堂博物館」というのですね。
ホームページには、野球の「訳者」に関して、中馬庚が「明治27年にベースボールを「野球」最初にと訳した人で…」とあり、この伝記と同様の捉え方がされていたのがわかった。
ただ、著者の城井睦夫氏は、正岡子規に対しても大変な敬意を払っていて、彼のベースボールに対する愛着と熱情に対して大きな賛辞を送っている。
で、本の内容だけれども。
明治21年に第一高等中学校(一高の前身)に入学し、ベースボール部で活躍したという中馬氏。はじめ二塁手で、のちにキャッチャーだったとか。対外試合の様子がつぶさに綴られていて、バンカラというか、わいわい感というか、そんな躍動感。大河ドラマの「いだてん」の天狗倶楽部あたりのシーンを思い描いた。
試合の相手は、他校の学生たちの混合チームや横浜外人チーム。明治時代に日米野球が行われていたとは。(しかも初戦は29-4で大勝)
そして驚いたのが、現在とのルールの違い。「キャッチャーは、ホームベースのずっと後ろに位置し、投げられる球をワンバウンドで捕球していたそうである。」それが、明治25年あたりだと思うが(記述からはっきりは読み取れず)、キャッチャーはダイレクトキャッチをするようになる。そして、「審判は、現在の球審のように、キャッチャーの後ろで判定するようになった。」それまでは、審判はピッチャーの近くに立って、「ホームベースをとおる位置を見て、ストライクかボールの判定をしていたという。」
キャッチャーは、ダイレクトキャッチするようになったためミットを使い始めたが、それ以外のポジションは素手でプレー…。え~!痛くない??
ちなみに、審判はホームベースの後ろに立つようになったが、そこから塁上のセーフ、アウトも判定していたらしい。審判は視力がとびきりよくないと務まりませんねー。視力というかなんというか。
…と、現在の“野球”から考えると大ざっぱのようにも思えるけれども、一高の投手による「力学的に研究していたカーブの投げ方」なんていう記述もあり、科学的な側面も含めて工夫されていた様子がうかがえる。
中馬氏は「筆のたつ人であったらしく」、〝第一高等中学校友会雑誌”にたびたび野球についての文章を寄せ、また卒業し東京帝国大に在学中にも『一高野球部史』を書いたらしい。そして明治30年には、冒頭にも述べた『野球』という本を執筆。自らの経験で体得した記述や知識をもとに、野球のやり方を著しているということだ。
その『野球』という書籍から内容が部分的に引用されているが、漢字と片仮名まじりの(今の感覚からいえば)文語調。格調高いようなユーモラスのような。言文一致運動って明治時代じゃなかったっけ?…と、昔、教科書で習った記憶を辿る…言文一致の過渡期だったのだろうか。著書は球の受け方(確かに素手で受けている!)や、握り方のイラスト入り。
中馬氏はその後、中学校の教員となり、教頭や校長も務めたそうだ。
ところで、野球殿堂博物館のホームページを参照したときに、施設の概要も見てみた。東京ドームに隣接。入場料200円。図書室もある。野球好きなら行ってみたいそんな穴場が首都・東京にあるとは知りませんでした。
↓先日紹介した5月6日のラジオ番組は二つとも聴き逃し配信あり。
でも、放送後一週間なので、もしかしたら明日まで?
私には両方とも面白かったので、興味のある方は聴いてみてください。
ラジオドラマ「みそひともじシンドローム」は、浮気をばらすと脅されて(この時点でなんじゃ、そりゃ?!)短歌づくりを始めるエリートサラリーマンの話。現代短歌は意味が分からず「気持ち悪い」と率直過ぎる感想をもらすシーンで、くすっとさせられた。そして、次第に、身の回りを描写するため言葉にからめとられそうになったりしてコミカル。肩肘張らずに聴けて、でも表現の本質的なところも感じられました。
一方、ジャズ番組でのバカラックのカバー特集。
「小さな願い」(I Say a Little Prayer)のカバーには度肝を抜かれた。
HPで確認したらRoland Kirkによるパフォーマンス。
ローランド・カーク、知りませんでした。
MC担当の大友良英さんは”ごった煮”と評していましたが、まさにその通り。
すごいエネルギーでした♪