レボリューショナリー・ロード

もう5月も終わり。まだ2月のレビュー書いてます。いつになったら現時点に追いつくんでしょうね



恋愛映画 その2:2月某日『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

タイタニック・コンビによる夫婦喧嘩の実況中継〜


唐突ですが「レッド・クリフ」は御覧になりましたか。戦いの連続でしたよね。私は“Part1”しか観てないけど、あれの戦闘シーンを夫婦間のバトルに置き換えてみたら‥‥。時間配分的にはちょうどそれくらいになる。つまりこの映画の大部分は言い争いで占められているというわけ。(乱暴な譬えですが。)

1950年代アメリカ。フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)のウィーラー夫妻は人も羨む美男美女の理想的カップル。可愛い子ども二人にも恵まれ、郊外の、芝生の庭が広がる白い家に越してきたばかり。家に面した通りの名前が“レボリューショナリー・ロード”(革新的通り?)今の感覚からみても、モダンで素敵な住まい。しかし、人の幸せは見かけだけではわからないもの。妻は結婚・出産のため諦めた女優の夢を胸にくすぶらせていて、夫は家族を支えるために続けているサラリーマン生活に倦んでいた。一触即発。そして爆発。二人とも弁が立つのなんのって。演技がうまいだけにケンカが真に迫っていてつらい。

美しく静謐な映像なのに、棘がチクチク。地雷がそこかしこに。

時代は50年前だけど、テーマは至って今日的。というより数十年前から引きずっている未解決のテーマ?
ただ、もし現代だったら、妻・エイプリルはもっと違う選択ができたと思う。あの時代だったらあれしかなかったんだろうか。

1950年代といえば、昭和20年代〜30年代。そのころの日本映画で私の鑑賞範囲のものは小津安二郎。実際、この総天然色米映画に出てくる、ブラウスにウエストがきゅっと締まったスカートの女性たちのスタイルを見ていて、モノクロ小津映画の原節子をはじめとするミューズたちを思い出した。男性陣は、レオさま筆頭にスーツにソフト帽をかぶって出勤。そういういでたちのサラリーマンが朝の混雑したプラットホームで電車を待っている場面は、これまた小津映画の鎌倉駅あたりにワープ。でもこのアメリカ映画に笠智衆は出てこない。それどころか、近所の人たちも友人たちもそこはかとなくシニカル。
また、当時の風俗でいうと、レオさまが勤務するオフィスのレトロな事務機器にも注目。

限られた街の出来事だけど、それにしても空間に広がりが感じられず閉塞感があるのは演出なのかどうなのか。同じ監督のアカデミー受賞作「アメリカン・ビューティー」も舞台空間のような映画だったのを思い出した。(あれは、それが作品の雰囲気に合っていた)

妻・エイプリルが「目玉焼きにする?スクランブルエッグにする?」と夫に訊いて準備した典型的なアメリカの朝食。その穏やかさが、嵐の前の静けさのようで不気味だった。



『レボリューショナリー・ロード』2008年/アメリ
原作:リチャード・イエーツ著「家族の終わりに」
監督:サム・メンデス
出演:レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット

レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで [DVD]


追伸:そういえば、倦怠期夫婦の危機を描いた小津映画もありましたね。『早春』(1956年 出演:淡島千景、池辺良 ほか)ずい分、この映画とは趣が違いました。…と、比較するのは強引過ぎますね。