2回目の歌舞伎

山笠も終わり台風(こんな時季に)が過ぎたら夏になるでしょう。。
一カ月半前の観劇記録です。



中村翫雀改め 四代目中村鴈治郎襲名披露 六月博多座大歌舞伎』


日時:2015年6月3日(水) 11時〜
会場:博多座


二月の初・歌舞伎鑑賞『伊達の十役』http://d.hatena.ne.jp/chihiroro77/20150225/1424869227に続き、六月も博多座へ。(今回も「市民半額観劇会」に申し込んで)

歌舞伎の演奏家たちを“地方(じかた)”というらしいが、彼らによる和の音楽、唄、語りも心地よくて、役者のセリフも、昔の日本語ではあるけれど、日本語は日本語なのでだいた〜いの意味はわかるし、筋はチラシで予習。

以前は、せっかく歌舞伎を観てもちんぷんかんぷんなのでは‥、眠くなるのでは‥等の心配があったのだが、一回観に行ってみたらそんなことはなく、今回もとても面白く興味深く観劇。ただナントカ屋とか、○代目○○などの知識もない初心者マークなので、現代〜この平成の観点から見た鑑賞のみでいいのだろうか、予備知識や教養があればもっと深く古典の世界を味わえるはずだと思いつつ、でも、面白かった、その感想。



播州皿屋敷



お馴染みの怪談、皿屋敷。いくつかのバージョンがあり、なんとなくのイメージだけでしか捉えてなかったのだが、今回、播州バージョンを観て、こういう話だったのか!と膝を打った。

セクハラとパワハラで腰元お菊を追い詰めた上に、井戸に吊るして殺した腹黒い家老・浅山鉄山。
家老の手下的な存在の岩渕忠太。(お菊〜中村扇雀、鉄山〜中村梅玉、岩渕忠太〜市川猿弥

お菊が化けて出て来て、まず忠太を怖がらせ、そして家老・鉄山を呪う。ちゃんと悪者にバチが当たったのを見て、胸のつかえが下りた。(忠太は井戸のへりに尻もちをついて、仰向けに井戸の中に落ちていった。下にはマットがあるんだろうか。凄い)

勧善懲悪的なカタルシスがあった。怪談なのに。
悪者がはっきりワルモノ然としているのが、わかりやすい。


お菊が皿を「一枚、二枚、‥」と数えるところは結末がわかっていても、ドキドキ、ハラハラ。
取り出すのはお皿だけではなく、間に挟んであるオレンジ色の布もあった。(布はウコンで染めているのでオレンジ色らしい。ウコンには腐りにくくする効果があるとか。一緒に行った友人がイヤホンガイドを利用したので、豆知識を横流ししてくれた。)「いちま〜い」と言って、お皿を出し布を出し、「にま〜い」と言って、お皿を出し布を出し‥。(以下同様)

ところどころで、鉄山の「五枚!」「七枚!」などの合いの手の声が入る。自分が一枚隠しているくせに‥。


お菊はピンク色の着物であでやかなのだが、井戸に落とされ吊り上げられて来た時、全身濡れていた。忠太と鉄山が吊るされた彼女を竹刀で打つところは、舞台右側で拍子木を手にした人が床を叩いて音がバシバシ。(実際は刀で斬りつけているシーンだと思う)

最後には、あたりが暗〜くなり、ひゅ〜どろどろ〜とお約束通り不気味なのだが、呪われるのが自分じゃなく、呪われるべき人なので、本当にすっきり。

江戸時代の庶民は、この芝居をどんなふうに観ていたのだろう。



連獅子


舞台の全域に演奏家の方々がずらり集合、オーケストラのよう。
その前方で獅子が二頭、舞い踊る。

が、チラシの説明によると、彼らは初めは獅子ではなく狂言師で、親獅子が仔獅子を谷へ蹴落とし、這い上がってきた子だけを助けるという故事を踊り、やがて親獅子と仔獅子の精が現われて舞う、という筋らしい。


親獅子の舞い〜優美で滑らか。四代目・中村鴈治郎
対して八頭身の仔獅子の舞い〜ハツラツ、のびのび。中村壱太郎(かずたろう)

実の親子が演じているのだそうだ。


圧巻だったのは、花道の奥から二人(二頭?)が姿を現わして、歩を進めながら舞台近くまで踊っていたかと思ったら、あっという間に二人とも後ろ向きのままサァーっと猛スピードでまた花道奥へ消えていってしまったところ。あの速度でバックで移動するのは尋常ではない技。もちろん、二頭が白くて長い髪を振り回すシーンも迫力があった。

親が子を蹴って、子が舞台上をコロコロ転がっている場面は、谷へ蹴落としたところだったらしい。イヤホンガイドの解説を後から教えてもらった。また、子が花道の上で腰を落として腕組みしている様子は、瞑想しているのではなく、谷に落ちて気を失っているところだったことも後からわかった。

衣装も二人(二頭?)お揃いで、2,3回変わるのだが、半ばあたりでの“柄on柄”の組み合わせがあり、お!と思った。上が紫色のダイヤ柄、下が黒地で植物の蔓の模様。ちぐはぐではなくバランスがとれていて素敵なのはなぜだろう。(素敵だけれど真似はできない高度なテク)



曽根崎心中



三つめの演し物は近松門左衛門の心中もの。近松の作品は数年前、人形浄瑠璃の舞台を博多座で観たことがある。「心中天網島」の一部分だった。


その時も感じたのだが、語弊があるかもしれないが、もし、ラストが心中でなかったら、ユーモラス‥というか、喜劇としていけるのではないか、ということ。

悲劇なのか、喜劇なのか、どちらに転ぶのか揺れながら、クライマックスに向かっていくのが魅力なのかもしれない。


遊女お初と、彼女と将来を誓い合った醤油屋の手代・徳兵衛。原作では若い二人となっていると思うのだが、演じるのははるかに年上の役者で、だがそれが逆に、若くない二人が追い詰められ、手を取り合って死に向かっていくように見え、なんだかリアルに感じられた。

徳兵衛は中村鴈治郎。哀れでけなげなお初は坂田藤十郎。観ている時は親子だとは気づかず、後から驚いた。

心中を遂げるため、夜中に二人が逃げ出そうとする場面で、下女お玉(中村寿治郎)が暗闇の中で目覚めてバタバタするあたりが滑稽味がありおかしかった。あわてて火打ち石で火を起こそうとするのを見て、電気がないんだ、江戸時代‥とハッとさせられた。

油屋九平次役の市川中車が、“半沢直樹”などのTVドラマでお馴染みの悪役ぶりを披露していた。


















ところで、客席から掛け声は今回は「なりこまや!」‥「成駒屋」でした。