緊急事態宣言は解除されたものの、舞台やライブ関係は、まだまだ見通しが立たないような現状‥
コロナの終息を待ちつつ、舞台ファンとしては今までの観劇体験を、包装紙を一枚一枚開けるように反芻。
1月に観た舞台 ↓
『キレイー神様と待ち合わせした女ー』
作・演出:松尾スズキ
音楽:伊藤ヨタロウ
出演:生田絵梨花、神木隆之介、小池徹平、鈴木杏、皆川猿時、村杉蝉之介、荒川良々、伊勢志摩、猫背椿、宮崎吐夢、近藤公園、乾直樹、香月彩里、伊藤ヨタロウ、片岡正二郎、家納ジュンコ、岩井秀人、橋本じゅん、阿部サダヲ、麻生久美子、ほか
日時:2020年1月18日(土) 18時30分〜
会場:博多座
~毒々しくて、可笑しくて~
松尾スズキ作。異色のミュージカル、4度目の再演『キレイ』を初観劇。(というか、随分前に初演のDVDを借りて観たことはあった。とても引き込まれたが、筋を忘れるのが得意な私は、細かいストーリーはおぼろげで、よって、ほぼ初めてのような新鮮な感覚で観劇)
赤い絨毯と赤い布の客席の近代的な大劇場で観たにもかかわらず‥。
“人攫いが出没しそうな淋しい夕間暮れ、公園の奥まったところにあるアングラ劇場に辿りつき、じっとその演し物が始まるのを待つ。やがて場内の灯りが落ち、目の前に広がったのは、極彩色の猥雑な世界、聖と俗(と俗)の往還‥。”
そんな幻想が実感を伴って居座ってしまった。
お話は‥。
3つの民族(キグリ、クマズ、サルタ)が対立し、紛争を続けている国・日本。
サルタの「サルタ民族解放軍」により、7歳のときに誘拐、監禁されていた少女が、10年後に表の世界に逃げ出す。少女の名はケガレ(生田絵梨花)。全ての記憶を失っている。
逃げ出して来たこの街も、混沌の世界。
キグリのカネコ組と出会い、彼らと働くことで生きる術を得る。
舞台上では、成人したケガレ(=ミソギという名。麻生久美子)が、静かに見守っている。
戦場ではクマズが優勢、カネコ組の仲間にも召集令状が届き、風雲急を告げる。
時間は、5年、10年と流れ、また戻ったり。
そして、ミソギが、忘れていた過去を思い出し始めて‥‥。
設定は際どい。監禁事件も然り。瓦礫の中から兵士の遺体を回収するというカネコ組の仕事も然り。
だが。
荒唐無稽な物語の中で、ふうっとリアルな空気感が漂う瞬間瞬間があった。ぶっ飛んだ筋だが、何かの暗喩のような(具体的にどこがどう、とはわからないけど)。荒唐無稽を極めて、本質にまで到達しようとせんばかり。
突飛だけど、リアル。
ざわざわしているのに、洗練されていてスタイリッシュ。
毒があるけど、妙な爽快感。
悲惨だけど、可笑しい。
相反するはずのものが溶け合った、テンポの良い劇世界。
キャラクターの濃い人物たちが、シビアな状況下で更に個性を強く出してゆく群像劇。
そんな人物たちに、連れてゆかれるままになった。3時間半だった。(途中休憩15分だったか、20分だったかあり)
ミュジーカル‥っぽくない、ミュージカル
楽曲は、ざっくりいって日本風なメロディ。
主役の生田絵梨花、小柄で可愛らしい雰囲気のままケガレを演じていた。ピュアな印象。
セリフと歌の境目があまりないかんじで、セリフの延長線上に自然に歌があるように、軽々と伸びやかに歌っていた。セリフも聞き取りやすいし、地声からちょっと高音になるところも自然できれいな歌声。(息継ぎもあまりしてないように見えて(してるとは思うけど)もしかしてすごい肺活量とか‥?なんてことも思ったりした。)乃木坂なんとか~というグループのメンバーだそう。びっくり。
ケガレは成長しミソギと名乗る。ミソギを演じた麻生久美子、テレビで見る通りの綺麗さ、歌唱も自然で、高音もやっぱりきれいに出ていた。
ケガレもミソギも透明感があった。
ミソギは、ケガレのことを、同じ舞台上にいながら別空間にいるように上の方から見守っている場面が長かった印象。舞台仕掛けも、舞台上に二階、三階、橋などが設けられ重層構造。(美術:池田ともゆき) 同一人物の成人前と成人後が二人の役者として存在していることで、時間も重層的に感じられた。
もう一人、成人前と成人後が演じ分けられた人物がいた。カネコ一家の次男、少年ハリコナ(神木隆之介)→青年ハリコナ(小池徹平)。ハリコナは頭を蜂にさされ「バカ」になったが、成長してひょんなことからIQ160に変貌。へらへらしているような神木ハリコナが、成人すると気障で歌も上手な小池ハリコナに。同一人物には見えず、ギャグだった。
強烈な印象を残したのは、カネコ組の肝っ玉母さん、皆川猿時。女性役がこれほど違和感ないとは。ふっくらした体で、目をぎょろぎょろさせて、すごい存在感。カネコ組をきっちり仕切り、エプロン‥というより、前掛けがよく似合う。
その夫役は、村杉蝉之介。風来坊。たま~にお土産を持って帰ってくる。なんか不穏な雰囲気を持つ村杉だが、妻・皆川猿時と抱き合ったりするシーンは、可笑しくて脱力。
とにかく、役者一人一人の個性が際立っていた。
ケガレの親友、ダイダイカスミは「ダイダイ健康食品」の会社(アヤしいものを扱っている)の社長令嬢。鈴木杏。一癖ある面白さだった。軽みがあるというか。
ダイズでできた合成人間の一人が“ダイズ丸”。橋本じゅん。ダイズ丸は数奇な運命を背負っているが、例によって、橋本じゅん、はじけていた。実は彼は歌がうまい!また、生歌が聴けて嬉しかった。(彼は“劇団☆新感線”所属。“大人計画”主宰の松尾スズキ作の舞台に重要な役どころで出演。完全に馴染んでいる。)
荒川良々は、何でしょう、この天然感。カネコ組と同業の一家の一員だが、慌てて走っていても何していても、ぬ~ぼ~としていて全て素なのか?と思ってしまう。
ケガレを監禁した首謀者は“マジシャン”。阿部サダヲ。ワルい奴なのに、ワルというより悪ふざけの風情で。目がキョロキョロ。
マジシャンと同じく「サルタ民族解放軍」で、ケガレを監禁していた女性“マタドール”。猫背椿。いつもノースリーブ。舞台では二の腕の美しさが目立っていた。テレビでは、個性的な役柄を臆面もなくこなす、というイメージがあったけど、もちろんこのお芝居でもそうだったけれど、怪しい奴という役どころながら、きれいな腕に目がいってしまった。
カネコ一家の長男ジュッテン。岩井秀人。戦争に参加したつらい体験から、目の開け方を忘れてしまう。真面目に演じていても、どこか可笑しいような持ち味。彼が主宰する“ハイバイ”の舞台や、出演している映画ででもお芝居は見たことがあったが、歌うところを見たのは初めてだった。歌うとは思わなかった。両手を広げて、味のある大仰な歌い方で、舞台を端から端まで動いて‥なんだか呆気にとられた。
時々舞台に現われて、ただケガレを見ているだけの“カミ”(神さま)。白髪。伊藤ヨタロウ。彼は音楽担当でもある。神の役と音楽の兼任とは。
途中でふと気づいたのは、NHK大河ドラマ「いだてん」の出演者が結構多い、ということ。2019年12月にドラマは終わっていたので、私にとっては“ロス”の救済という隠れた効能あり。
通路や、後ろ側に補助席が沢山出ていた。補助席といっても、スチール椅子ではなく、備え付けの椅子と同じ赤い布の椅子だった。博多座はぎゅうぎゅう満席。若い男女も多かった。人気者たちが出ていたので、きっと、お気に入りの出演者がいたのでは。若者が博多座にこんなに多くいるのは、私が知る限り結構珍しい。
この2ヶ月後に、新型コロナ感染予防のため公演中止の日々がやって来ようとは、思いもよらなかった。
追伸
この日の夕方、会場に着いた時、ちょうど昼公演が終わった頃合だったようで、 劇場前は、主に若者たちでごった返していた。ポスター↑をケータイで撮ろうとしていると、後ろから「すみません、‥すみませ~ん」 振り向くと、二十歳前後の若い男の子たち。あ、私、ポスターの前に突っ立ってたから邪魔になったかな、と思ったら。「シャッター押してください」
観劇後と思しき5,6人、ポスターをバックにした写真を撮りたいらしいけど、スマホ操作に慣れないおばさん(私)に頼むなんて。責任重大。
でも、シャッター押すだけで重責(?)が果たせました。
ほかにも、何組かそんな光景が見られた。
興奮冷めやらぬというかんじの熱気。
あの熱気が劇場に戻って来る日が、一日も早く来ますように。