再演 SONG WRITERS ソング・ライターズ

8月に京都に観に行った舞台の感想です。



『SONG WRITERS ソング・ライターズ』


脚本・作詞・音楽プロデュース:森雪之丞 
演出・技斗:岸谷五朗 
音楽監督・作曲:福田裕彦
作曲:KO-ICHIRO(Skoop On Somebodyさかいゆう、杉本雄治(WEAVER)、中川晃教
振付:藤林美沙
美術:土屋茂明(TSUCHIYA CO-OPERATION)

出演:屋良朝幸、中川晃教島袋寛子武田真治、泉見洋平、藤林美沙、コング桑田、植原卓也平野良 ほか

日時:2015年8月16日(日)13時〜
会場:京都劇場


   




〜日本・発 ミュージカル メロディにのった言葉の神通力〜



2年前の2013年に上演されたものが、全く同じキャストで再演された。
森雪之丞岸谷五朗がタッグを組み創り上げたオリジナル・ミュージカル。


初演も観た。理屈抜きで楽しめて、その楽しさが心に残っていて、曲のフレーズいくつかが頭に残り、是非もう一度観たいと思っていた。

今まで色々なミュージカルを観たけれど、歌の歌詞がこんなに素直に心に染み入るミュージカルは初めてだった。全曲の歌詞を書いた作詞家・森雪之丞(脚本も担当)。数々のヒット曲で彼の歌詞は耳にしている筈だったが、こんなところで威力を知らされた。

‥2年前に初めて観た時にそう思ったが、2回目の今回も改めて新鮮な気持ちでそう思った。前回と同じところで涙が出そうになったり、笑ったりほっとしたりした。

“愛”とか“夢”とか、素の状態で聞いたら歯が浮くようなことが、ずんと胸に響く、舞台の魔力。



お話は1970年代半ばのニューヨーク。何に対しても自信満々の作詞家・エディ(屋良朝幸)と反対にいつも気弱な作曲家・ピーター(中川晃教)。二人は幼なじみ。世の中をあっと言わせるようなミュージカルを、力を合わせて創ろうと奮闘している。

「トン、トン」‥毎回、約束の時間通りにピーターの部屋をノックするのは、音楽出版社のディレクター・ニック(武田真治)。二人のデビューに尽力している。

ミュージカルの歌姫候補は、エディが偶然知り合ったマリー(島袋寛子)。

場面は変わり、キャバレー風なところで歌と踊りが繰り広げられ、マフィアたちが裏の世界の相談をしている。
マフィアのボスはカルロ・ガンビーノ(コング桑田)。
ニューヨーク市警の刑事だが実はマフィアの世界と通じているジミー(泉見洋平)。
カルロの情婦パティ(藤林美沙)は、ジミーの元・恋人。
一発触発の物騒な雰囲気・・・・ここらへんはあとから、エディの書いた物語の一部だとわかる。

現実の話と、エディが書いているギャングが跋扈する話が同時に進行して、やがて物語が現実を押しやり‥という二重構造。誰がどっちの味方なのか、誰がいい人で誰が悪い人なのかわからなくなってきて、筋立てもスリリング。二幕目はアクションも多く、疾走感がある。


外国が舞台なので、初めはそれなりの距離感があるが、気づいたら至近距離、というかんじだ。



シンプルで魅力的な曲のフレーズ


楽曲は、アップテンポのものには乗せられ、バラードは聴かせる、とバラエティがあり、舞台全体として緩急がある。

“ウィ・アー・ソングライターズ♪” “ヒミツがあ〜れ〜ば〜♪” “ 逃げろ!逃げろ!” “ビリーブ・イン・ドリームズ♪” etc.‥色々な曲のフレーズが頭の中でリフレインする。

舞台が終わった後も、覚えていて口ずさめるフレーズがいくつもあるミュージカルというのは強い。(事実、2年前に聴いただけなのにずっと覚えていたくらい、サビ部分は覚えやすくシンプル。)


中でも印象的な2曲は“愛は愚か〜”(愛はいつも愚かなもの)と“きょうりゅうのうた”(Dinasaur in my heart)‥(カッコ)内は正式楽曲名。


『愛はいつも愚かなもの』はジミー(泉見)とパティ(藤林)の元・恋人同士が歌うバラード。サビのフレーズが“愛は愚か〜♪” 字面だけで見ると陳腐な言葉が、音楽にのると、こうも胸に迫るとは。二人のストレートな歌いっぷりもいい。エディ(屋良)とマリー(島袋)が歌うバージョンもある。


“きょうりゅうのうた” (Dinasaur in my heart)はピーター(中川)のピアノの弾き語り。
胸の中に棲みついた恐竜に暴れてくれるなと切々と歌う。口に出せない秘めた思いがあり、その心情・葛藤を歌うことだけで吐露する。情感を込めたのびやかな歌唱にグッとくる。今回も“きょうりゅう”に胸を鷲掴みにされた。



躍動の俳優陣



中川演じるピーターは金髪のくるくる髪で、一幕目は半ずぼん。情熱はあっていつも明るく、真っすぐに人に接するけど、弱気でおどおどしているところがある。が、歌はいつもながらパンチがあり堂々としている。お人好しなだけじゃない、屈折したものも抱えている、内面的なものが歌で伝わってきた。

彼は、セリフの演技以外の時間も、作曲するピーターとしてピアノに向かってジャズ風の曲をずっと奏でていた。すごいと思った。惚れ直した。(が、実際は弾いていない部分もあったとか(弾くふりだけ)。私は気づかなかった。どちらにしてもすごいと思った)


屋良朝幸のエディは根っからの陽性。エネルギッシュな演技で舞台をぐいぐい引っ張っていた。ダンスがすごくキレがあって、関節が外れるんじゃないかと思うくらい身体が柔らかい。ステージ狭しと踊っていた。向こう気の強いエディの個性が弾けていた。宙返りもあってびっくり。

主役の二人の息がぴったり合っていた。歌姫を巡って友情が微妙に揺れるところも、自然に触れられていて、なるほどね、と思った。


その歌姫マリーの島袋寛子。大人の女と不思議ちゃん、両方の魅力がある。あの“スピード”のヒロでは、もはやない。以前、ミュージカル“モーツァルト!”でコンスタンツェを演じる彼女を観たが、その時より随分生き生きしているという印象。


いつもふざけた調子のニックは武田真治伊勢丹の包装紙のような柄のスーツに白い帽子。似合う、だが、実は一癖も二癖もある人物。滑稽味のある怪しい人という役をこの人がやるとハマる。嫌味じゃない。随所で笑いをとっていて、キメのポーズが可笑しい。


泉見洋平は大人の男の役どころ。かっこよかった。歌に気持ちがこもっていた。

藤林美沙。こちらは大人の女の役。スレンダーな肢体で歌もダンスもいい。特にダンスはスケールが大きい。ちなみに、舞台の振り付けは全て彼女によるもの。

マフィアの親分はコング桑田。風貌からいっても、もうぴったりの役柄。歌はものすごい声量で、貫録だ。舞台を締める存在感だった。



カーテンコールに登場した森雪之丞は、この物語を、書きたくなって書いて、そして自ら舞台化の企画を持ち込んだ、と語っていた。それを聞いて腑に落ちた。書き手の中から自然に湧き上がってきた力が、そのまま舞台の力になったんだと思った。

“言葉は翼、音楽は風” これは舞台のナンバーの中の一曲のタイトル。風に乗った言葉が大きく羽ばたいた気がした。