ロックオペラ・モーツァルト

上半期、最も印象に残ったのはこの舞台。
公式ホームページが7月31日でクローズだそうです。。http://www.mozart2013.jp/
プレビュー公演の映像もずっと公開されていたのですが。

あわてて、下書きしていたものをまとめました。↓



ロックオペラモーツァルト

  



演出:フィリップ・マッキンリー
出演:山本耕史 中川晃教 秋元才加 鶴見辰吾 キムラ緑子 高橋ジョージ 菊地美香 AKANE LIV 
      酒井敏也 コング桑田 湯澤幸一郎 北村岳子 北原瑠美  ほか


日時:2013年2月23日(土) 17時〜
      2月24日(日) 17時〜
場所:梅田劇場メインホール(大阪)



〜永遠のライバル同士を 二人の男が交互に演じて衝撃の好対照〜




フランス発のミュージカル。2009年、2011年のパリでの公演が記録的なヒットだったという触れ込み。

ストーリーは、豊かな才能で頭角を現わすモーツァルトと、彼に嫉妬し道を阻もうと画策するサリエリ、二人の関係が中心。「アマデウス」という映画や舞台があったが、筋はそれに近いのかもしれない。(私はそれらを観ていないので正確なところはわからず。)


このミュージカル、日本版は、ルージュ・バージョンとインディゴ・バージョンの二通りあった。
ルージュでは、モーツァルト役が中川晃教サリエリ役が山本耕史
インディゴでは、その逆で、モーツァルト山本耕史サリエリ中川晃教
主役二人が違う役を交替して演じる、新しい試み。
おまけに、私が舞台にはまるきっかけになったのは、2005年博多座で晃教氏主演の「モーツァルト!」(こちらはウィーン・ミュージカル)を観たこと。
晃教つながり、モーツァルトつながりで、これは、もう、このロックオペラとやらを、観に行くしかない。


それにしても、“モーツァルト”という人物は、映画や舞台でよく取り上げられる一つの“題材”のようになりつつあるのでしょうか。



一日目 ルージュ・バージョン モーツァルト中川晃教サリエリ山本耕史


期待を裏切らず、めくるめく豪華な舞台で、めくるめくうちに気づいたらあっという間に終わっていた。あっきーモーツァルト(アッキーとは中川晃教の愛称)は本能の赴くまま、天然型の天才を自由に演じた。全ての楽曲を軽々とものにしていた。特に一幕目最後に歌った、ピアニッシモで始まりフォルテシモまで盛り上がる曲は圧倒的だった(『薔薇の香りに包まれて』)。セリフも、やはり何年か前の「モーツァルト!」の時より、どすを効かせるところもあり、同じ役柄をやっても表現の幅が広がっているのが感じられる。

山本サリエリは、クールな立ち居振る舞いながら、モーツァルトの美しい調べを耳にして妬みでよろけそうになり、怒りを内側に溜めていく様が、見ていてこちらまでつらくなってくる。眩し過ぎるモーツァルトに対しての屈折した気持ちはよくわかり、みていて感情移入してしまう。サリエリは、モーツァルトに比べて出番は少ないが、狂言回し的な役割も兼ねている。

と、一日目は、待ち望んでいた舞台を無事鑑賞できたという安堵感と脱力感で終わった。明日この二人が入れ替わったらどうなるんだろう。晃教くんは、もっと黒い役柄をだんだん演じてくるようになってきているので、サリエリ役は楽しみでもある。山本耕史モーツァルトはこの時点では想像がつかなかった。



二日目 インディゴ・バージョン モーツァルト山本耕史サリエリ中川晃教 ‥千秋楽


前日は2階席で全体を見渡しながら楽しんだのに対して、二日目は一階席の前から二列目。舞台の近さゆえの迫力と、また主役二人とも想像以上にぴったりで、打ちのめされそうになった。

晃教サリエリ。凄まじい怒り。やはり出だしはクールに登場するが、モーツァルトのメロディに触れ、息遣いが荒くなり嫉妬の火がメラメラと燃えていく。お芝居のセリフの部分では抑え気味だが、楽曲の中で、その怒りを爆発させる。狂気に達するほどに。歌唱はド迫力でしかも破綻がない。いつもながら声量たっぷり、3階席の奥まで歌声が行き届く。そして、もっと燃えろ、もっと燃えろと煽りたくなった。何だろう、この心理は(自分も屈折しているのか)。宮廷に仕える有能な作曲家サリエリが、耳まで口が裂けた化け物の顔を覗かせる。圧巻。

一方、山本モーツァルトは、晃教モーツァルトが無邪気な天才だったのに対して、“上から目線”のお高くとまった天才。ふん、どんなもんだい〜と言わんばかりの鼻持ちならない奴。こういう人どこかにいそう。歌唱はギターバンドのヴォーカリスト風。伸ばした声にビブラートがかかる。舞台化粧のせいもあるだろうが、近くでみるとテレビで見るより美しい顔立ちでちょっとびっくり。

という具合に、主役二人が正反対の役を交互に演じて、全く違う魅力を発揮してそれぞれに惹かれた。



日本人に馴染みやすいメロディ



ところで、そもそもロックオペラはミュージカルどう違うんだろう。はっきりした定義はわからないが、ロックオペラってロックのオペラ?(う〜ん、答えになっていない。)
自説だがロック調の曲は日本語にすると歌謡曲に近くなるリスク(?)あり、と思うんだけれども、この舞台ではそんなことなくて、ちょっとひねりがあって垢ぬけているというか。しかもメロディが覚えやすい曲が多かった。これは結構重要ポイント。

本物のモーツァルト自身のクラシック楽曲もソプラノの美しい歌声にのせて折々にまじえられていて、音楽全体に幅がある。豊かな音世界だ。(ソプラノは歌姫・カヴァリエリ=北原瑠美)。


他の共演者たちも、みんな魅力的だった。
一番驚いたのが、コンスタンツェ役の秋元才加。人気アイドルグループの一員という認識しかなかったが、こんなに自然にミュージカル(ロックオペラ?)の舞台をこなせる人だとは。モーツァルトの妻・コンスタンツェは今まで色々な人が様々なタイプを演じてきたと思うが、彼女の場合はちょっとおきゃんなコンスタンツェで、歌声も高すぎずかんじがよかった。コンスタンツェの姉のアロイジア役はAKANE LIV。歌声はやはりアルトで丸みがある。初めて観る人だったが好きになった。モーツァルトの姉・ナンネールは菊地美香。可憐で芯が強い役柄がよく合っていた。

モーツァルトの厳しい父・ロオポルドは高橋ジョージ、酒場の主人役・鶴見辰吾は、二役で、“運命”役も演じた。“運命”とは、ふと気づいたら、舞台の脇に立っていて登場人物たちを眺めている存在。面白い演出だと思った。また男性ダンサーたちの踊りのキレはすごかった。


めくるめく、と言ったけれど、シーンごとに美術が変化するのもその一因。衣装と美術が一体となっている。バラだらけの場面は、衣装もバラ、上からの幕もバラ。パリの場面は衣装もバックもモノトーン。モーツァルト家のシーンはパープルが基調。コンスタンツェが活躍する場面はオレンジとピンクが躍動。場面場面でがらりと変わり贅沢だ。(美術:松井るみ、衣装:有村淳)

舞台の基本形は、ステージの上に装飾の施された大きな台が乗っていて、台の上、またはその台の側面を背景にして、話が繰り広げられていった。重厚な雰囲気。台にはかなりの角度の傾斜あり。回転もする。

晃教サリエリがその傾きのある広い台上で動きながら歌い、しかもその台がぐるぐる回るシーンがあって、渦巻が起こりそうだった。灰色の渦巻だった。

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舞台は好評だったし、私が行った二日間とも満席だった。

光り輝くものを妬み身をよじらせる男と、羨まれていることには気づかず才能にまかせて創作に打ち込み命を縮めていく男。二人の主役がそれぞれの役を演じたのを観たので、同じ人間の中に潜む二面性のようにも感じた。豪華絢爛な舞台だったが、芯の部分にそういった人間の本質的なものや葛藤があり、強い強い余韻が残った。